​君を追放した者の真実

四葉静流

 まず最初に、この物語の主人公を紹介するよ。と言っても、僕は彼の名前を知らない。人間の考え方で言うとそれなりに長く一緒にいたんだけどね。僕と彼とじゃ、言葉が違ったんだよ。何を考えてるか何をしたいかは、簡単な身振り足振りでなんとなく伝える事ができたけど、「言葉だけで伝えるもの」は最後まで交わす事ができなかった。だから僕は彼の名前を知らない。

 だけど、それは今となっては大した問題じゃない。と言っても、この話をする上では主に僕が面倒だから仮の名前として、彼の名前は「ルシファー」とするよ。うん、自分で言うのもなんだけどいい名前だね。これから僕が語る物語に相応しいと思う。僕が相応しいと思うから、有無は言わせないよ。

 

 彼との、ルシファーとの出会いは、そんなに浪漫的なものじゃなかった。まっ、そんなもんだよ。夢は寝てる時にだけ見るもの。現実はいつだって、僕たちの思い通りにはいかないもの。誰だって、そういう経験があるでしょ。

 僕はできる限り僕の思うままに生きていたけど、ルシファーはそうじゃなかった。ルシファーにとって現実とは、もうすぐ僕に食べられて死ぬ事だった。竜を鎮める生贄として。

 

 ああ、話を進める前に自己紹介をしておくよ。僕の名前は、どう言えばいいかな、人の言葉で無理やり発音するなら「キヴィアーヴィ」と言えば一番近いかな。ルシファーが住んでいた村のすぐ近くの山に住んでいた竜だよ。

 この世界において、「高い知能」を持つ生き物は三つだ。一部の魔獣か、竜か人。そして、僕は竜でルシファーは人だった。

 僕は人間より何倍も大きな体で、体を黒と赤の鱗で覆われていて、長い尾の先には蠍のような毒針を持っていて、四本の足と、背中から生えた二枚の翼があった。

 これは秘密にしておいてほしいんだけど、普段は割れ目の中にしまってある僕のおちんちんは並の雄より大きいと思うよ。いや、前にルシファーからすごい目で見られた事があるんだよ。まあ、あの頃のルシファーの体で例えると、二倍の長さと二回りくらいの太さがあったからね。

 

 このまま少し話が逸れるけど、竜の話をしようか。まず最初に、二つの種類がある。「高い知能」を持つか、そうじゃないかだ。これは生まれた時に決まる。もちろん僕は「持っている」方だよ。僕は今まで番った三体の雌に全部で十五個の卵を産んでもらったけど、その内で孵ったのは十、「高い知能」を持ったのは三だった。

 全部で十の子供が僕にいるけど、どうだろうね、僕の証は子孫に引き継がれるかは分からない。僕の子供たちは、子育てが終わった番と同じようにどこかへ旅立ったからね。今となっては確かめようがない。別にそんなに気にしてもないけど。そうだね、僕とルシファーの物語が生まれた理由は、あの時の僕が二百年くらいは番っていなかった事もあるだろうね。

 

 これで竜にとって「高い知能」を持っているかどうかが一つの区別なのは分かったと思うけど、細かく言えば三つの基準がある。高い方から説明するよ。山を連想すれば簡単に理解できる。

 竜の中で最も高貴だとされている連中が「エイペックス」だ。いや、ここに入る竜は竜を超えている。神様だと言っていい。実在するかどうかも分からなかったし、人間と同じように魔法が使えて、エイペックス自体の強い力を持つ。「高い知能」を持たない雄と雌の番からエイペックスが生まれた事もあるって話を聞いた事があったけど、噂話以上の事は分からなかった。なにしろエイペックスは数がものすごく少ないらしいと言われてたからね。

 僕は今年で八万と二千九百六歳だけど、その時は一度もエイペックスを見た事がなかった。そもそも、僕じゃエイペックスの存在を知ろうとしても知る事ができなかったかもしれない。って言うと、もうほとんどいないのと同じだね。だからエイペックスの話はここまで。

 次に「ミドル」の話をするよ。あの頃の僕はここに入る。エイペックスより数が多いけど連中より力は小さく、何か一つの力だけを持ってる事が多い。

 言うのが遅れたね。僕は「毒針のキヴィアーヴィ」って呼ばれていた毒の竜だ。僕の毒は、「体を作り変える毒」だったよ。竜以外の生き物の体に量を調節しないで流し込めば、体が変化に耐えられなくて腐って死ぬ。

 僕の他にも毒の竜はいるし、それは僕の子供たちの中にもいるし、もちろん僕の血筋以外にもいる。毒にも種類があって、例えば「ファーネッタ」と名付けた僕の子供は「鱗の間からにじみ出る、体を動かせなくする毒」だった。

 もちろん、毒以外にもいろんな力を持つ竜がいる。火を操る竜もいるし、植物のような竜もいる。「カレー」という香辛料がたくさん入った食べ物を作れる竜もいるし、竜以外の生き物を土くれにする事ができる竜もいる。とにかくいろんな力があるし、「高い知能」でそれを上手く使う事ができる。

 それに「高い知能」をもつ同士、人間とは言葉を交わせなくても何かの取引をする事がある。僕は前に一回だけ、僕が仕留めた巨大熊の前に砂金が入った小さな革袋を投げた人間とそれらを交換した事がある。いや、あの時は人間の群れの中に魔法使いがいて、「この金で山の主を譲ってくれ」って言われたんだっけ。まだ二千年くらい前の事なのに忘れてたよ。

 一番低くて数が多いのが、「ヴァスト」と呼ばれてる連中だ。「高い知能」を持たず、力もそんなに強くない。と言っても、ヴァスト一体を相手にするなら、人間だったら十体かそれ以上は必要かな。

 ヴァストは竜というよりも、動物や魔獣に近い。ミドルにとってヴァストは、自分の血族じゃなければ食べる事だってある。人の中にはヴァストを飼い慣らす種族がいるらしいけど、「高い知能」を持ってないから家畜以上の事はできないらしい。

 ヴァストはミドルと違って、ミドルほど上手に自分の力を使いこなす事ができないし、言葉も知らないし、自分がしたいままの事をそのままする。それでも、ミドルにとって自分の血族のヴァストは大切な存在だ。ヴァストの命を奪う事は、その血族に喧嘩を売る事になる。だから、間抜けなミドルじゃなければ、自分の住処を荒らされたり番を横取りされそうになった時にしかヴァストを攻撃しない。ヴァストでも竜は竜だ。その尊厳を傷つけるなら、同じ竜でも報いを受ける。

 

 話を僕とルシファーの方に戻すよ。

 ルシファーが暮らしてた村の連中に、僕がミドルである事は知れ渡ってたと思う。言葉や何かのやり取りを交わした事はなかったけど、村の人間が自分たちの生活以上に山を荒らす事はなかったし、僕も人間の暮らしに興味がなかったから村を襲ったりしなかった。人間は肉に独特の臭みがあって美味しくないしね。

 それがルシファーと出会う前まで、千五百年くらい続いてたかな。僕が山に住み着いてるから気性が荒いミドルやヴァストに人間が怯える事はなかったし、こっちは人間が適度に害獣や魔獣を狩ってくれるから面倒が減って住み心地も良かった。一種の共生関係だったと思う。ルシファーとの暮らしも悪くなかったけど、のびのびと番ったり子育てもできた。

 だけど、ある時、その関係が崩れた。山の動物や植物の間で謎の病が流行った。毛並みや葉っぱがみずぼらしくなって、それから抜け落ちて、最後には力尽きる病。村を見に行ったわけじゃないけど、人間もそれに罹ってたと思う。

 確かな事は分からないけど、僕の毒じゃなかったと思う。だって性質が違ったし、千五百年も住んでいて今更そんなものが出てくるとも考えにくかった。理由は分からないけど、もしかしたら僕の住処を横取りしたい他の竜か、あるいは人間同士の争いだったのかもしれない。まあ、今となってはどうでもいい。

 

 強い毒を持つ僕は、病気持ちだろうと腐肉だろうとお構いなしに食べて、特に支障も何もない。僕は森そのものが荒れ果てるまでいつも通りそこにいるつもりだったけど、村の連中はその病を僕の所為だと考えたみたい。そういう時に人間が竜にする事は二つ。命をかけて戦うか、ご機嫌を取るか。

 村の連中が選んだのは、僕の機嫌を取る事だった。そう、ルシファーはその為の生贄だったんだよ。村の連中が「毒竜様、これで怒りをお鎮めください」っていう意味を込めた生贄。

 浅はかだよね。今までお互い生きていく上で小さな関係を持ってたけど、あの時は人間というものに失望したよ。まっ、病気の原因が分からないのは僕も同じだったんだけど。

 

 ルシファーは、前から人間があまり立ち入らない山の中をひとりで僕の寝床がある洞窟に向かって歩いてきた。どうして知ってるかは、その時、僕は暇潰しで山頂から周りを見渡してたから。竜の目の良さをなめてもらっちゃ困るよ。

 ルシファーは不慣れな足元を気にしていたのか、赤い葉っぱばかりの呪われた森を見たくなかったのか、あるいは自分の運命を決めつけた村人を心の中で恨んでたのか、それは分からないけど、俯き続けて山を登っていて僕に気づいてなかった。「そんなに下ばっかり向いてたら、不意打ちで襲ってくる魔獣の餌になっちゃうよ」って思ったけど、たぶんルシファーにとっては魔獣だろうが僕だろうが死ぬ事に変わりはないから、どっちでもよかったんだと思う。

 僕にとっては、面白そうな人間が魔獣のご飯として消えるのは、暇潰しとして不利益だった。山頂からは森の生き物の気配がよく見渡せて、牛くらいの大きさをしてる五体の魔獣の群れがすでにルシファーを狙ってた。連中は病によって獲物が少なくなって気が立っていたから、僕に深く考える時間を与えなかった。魔獣にそんなつもりはなかったと思うけどね。

 僕は黒い雲が覆う薄暗い夕方の空に向かって吼えた。実を言うとね、僕は今まで番ったミドルの全部に「声があまり綺麗じゃない」と言われ続けてきた。ヴァストの雌と番った時は「最中」に顎を足で押さえつけられたし、同じ巣で育った兄貴にも言われたなあ。失礼しちゃうよね。まっ、自分でも美声なんて思ってないけど。

 とにかく、僕の声は邪魔な奴らを追っ払うのに最適だった。視線を空から森に戻すと、魔獣は散り散りになって逃げ出してた。そして、ルシファーは目を見開いて山頂の僕を眺めてた。いやあ、ルシファーと言葉が交わせたらいつまでもその時の事で揶揄えたんだけど、それは最後までできなかった。

 僕は翼を広げて空を飛んだ。ゆっくりと円を描きながら高さを落として、それからルシファーの目の前に降りた。その間、ルシファーは背中を縮こませたり、僕の翼が作った風で体を転がされる事しかできなかった。ああ、これも揶揄いたかったなあ。

 

 それはともかく、背中を木の幹に預けたルシファーは立ち上がる事さえできずに、頭を高くして彼を見下ろす僕を震えながら見つめてた。目の前に竜が現れたら当たり前だよね。僕はそれを狙ったんだし、僕にとって彼は興味深い姿をしていた。

 僕はその時まで、ルシファーを人間の幼い雌だと思ってたんだよ。だってルシファーは、人間の雌の格好をしていたから。今だから分かるけど、それは「スカート」だったり「コルセット」だったり。頭の毛だって、ここ千年くらいで僕が見た事がある人の雄よりも長くて、栗色のゆるやかな巻き毛が胸のあたりまであった。

 これも今だから分かるけど、そういうのを人間は「異性装」と言うらしいね。ああ、いや、もしかしたらルシファーは雌になりたかったのかもしれない。やっぱりそれは言葉が違ったから分からない。今となってはどうでもいいね。とりあえず、ルシファーの事はこのまま雄で進めるよ。

 そして、その時の僕にとっては、番にしたい竜を惹きつける為に木の葉や花で体を飾る西大陸の南東の竜を思い出してた。「竜と人間は何もかもが違うと思ってたけど、変なところで似てるなあ」って感じ。

 そして、ルシファーが珍しい人間なのはそれだけじゃなかった。こっちは山頂から見てた時から気づいてた。

 ルシファーは、野生の動物や魔獣によくあるように手傷を負っていた。具体的には、彼には左腕がなかった。白い服の左の袖には、何も入ってなくてぶらぶらしてた。たぶん新しいものじゃない。生まれつきか、それなりに経ってるか。

 いずれにせよ、僕はなんとなく「読めて」きた。ルシファーが生贄に選ばれたのは本心じゃないだろうって。あるいは、片腕がない事を負い目に感じてたのかもしれない。病に苦しむ村の人間としては食い扶持を減らす事もできるし、あわよくば僕の怒りを鎮められる。

 全くもって浅はか。その時のルシファーは左腕がない事の他は、病の兆候もない健康そのものだった。片腕だからといって貴重な働き手を潰すなんて。そこらへんの魔獣でも、手負いには育児や群れの警護を任せるのに。

 

 この時の僕は、ルシファーをどうするか決めてなかった。とりあえず一歩踏み出すと、ぽかんと開いたままだった彼の口がかちかちと歯を鳴らし始めた。それから、茶色のスカートにもっと色が濃い染みが広がった。ああ、これも揶揄いたかったなあ。仔竜だって、用を足すのは巣の外でやるのに。

 また一歩踏み出すとルシファーは、今度は体を丸めて蹲って何かを叫んだ。その意味は分からなかったけど、たぶん「お許しください」くらいの、僕へのお願いだったと思う。そんなルシファーから視線を移すと、彼の近くに人間の頭くらいの大きさの口が開いた革袋があって、中から紐で繋がれた干し肉や赤い果実、それに飾り鞘の短剣がはみ出してた。僕への手土産だったと思う。それくらいの食べ物じゃ僕のお腹は満たされないし、短剣もせめて金か銀くらいは使っていてほしかったなあ。

 

 うん、そこで僕はルシファーへの興味が尽きた。彼から分かる事はもう何もなかったし、臭みがある肉をお腹の足しにするのも億劫だった。

 僕が食べる素振りを見せなければ、人間でもそれを分かってくれるだろうと思った。だから僕は前足の爪で袋の中身を袋に戻してから、尻尾の毒針の先で引っかけて持ち上げた。

 僕がルシファーのすぐ目の前まで来ると、彼はもっと体を丸めて叫んだ。「もうすぐ夜になるから、早く帰った方がいいよ」って僕は言ったけど、竜の言葉を知らないルシファーは泣き叫ぶだけだった。

 そんなルシファーへお構いなしに、僕は彼の横に袋をそっと置いて、それから彼を踏まないように気をつけながら後ろを向くと、寝床に向かって歩き出した。

 そう、その時は人間の幼い雄一体なんてどうでもよかった。山を下りる前に魔獣と出会したとしても、僕には関係ないと思ってた。

 本当に暗くなってきた山の中を歩いていると、雨が降り出してきた。小雨じゃなくて、結構強い雨が。僕を薄情なんて言わないでね。だって、この時の僕はルシファーとあんな事になるなんて思わなかったんだから。

 

 寝床の洞窟に着く頃には、僕の体はすっかり雨で濡れてた。もちろん、雨に濡れたくらいで竜が病気になったり体調を崩す事なんてないよ。濡れたままで、乾いた草や枝や小骨で作った巣に体を預けた。その時にはもう、ルシファーの事なんて忘れかけてた。いつも通りの日々の中で起こった、少しだけいつもと違う事。それだけで特別とは思わない。いや、本当に薄情じゃないんだよ。

 竜は人と違って時間を細かく刻んで考えたりしないから、そこからどれだけの時間が経ったかは分からない。ただ僕は、夜目をきかせながら洞窟の外を見て、雨の音を聞いていた。そんな時だった。洞窟の入り口に人間の影が現れたんだよ。

 そう、ルシファーだった。しかもずぶ濡れになったね。洞窟の入り口まで来たルシファーは、そこでしばらく立ち止まった。スカートが張りついてた足は少し震えてたよ。僕はそんな彼の様子をじっと見つめていた。もう夜になってたから、彼からは洞窟の奥にいる僕は見えなかったと思う。

 僕には、彼の思考がなんとなく読めた。生贄として選ばれた以上は、おめおめと村に引き返す事はできない。今度は半殺しにされて、山の中に置き去りにされるかもしれない。うん、彼にとって彼の運命は決まっていたんだよ。どう足掻いても変えられない死の運命だね。

 とは言え、僕はルシファーを食べる気にはなれなかった。死にたがっているのは、それは彼の都合であって僕の都合じゃない。お望み通り食べてあげるのが優しさだとも思わなかった。流行り病が僕の仕業じゃないから、ルシファーと食べたところで何も変わらない。それどころか、更に生贄を差し出されるかもしれない。いやあ、狩る手間がかからないといっても不味い肉を食べ続けたくないでしょ。

 だから僕はその時、彼に何もしなかった。する気にもなれなかった。見つめる事にも飽きたから、目を閉じて、しばらくすると眠りに入った。

 

 そして、目が覚めると、日が昇っていた。洞窟の寝床まで太陽の光は届かないけど、夜よりかは明るくなってた。

 僕は目覚めて真っ先に洞窟の入り口を見た。そこにルシファーの姿はなかった。大人しく帰ったのかな。そう思ったけど、僕のお腹の横に違和感があった。「まさか」と思いながら、寝そべってる僕の体にゆっくりと振り返ったんだよ。

 ルシファーは、寝床へ横になってる僕のお腹に背中を預けて静かに眠っていたんだ。穏やかな寝顔だったよ。昨日はあんなに死の恐怖を浮かべてたのに。ルシファーにとっては、諦めだったのかな。

 この時は知らなくて、知識を司るエイペックスである「饒舌なマキフィネ」から後で教えてもらったんだけど、「学習性無力感」ってものだったのかもしれない。「死が避けられないものなら、無駄な足掻きはしない」って奴らしいね。まあ、幼くても一晩あれば覚悟は決まるよね。

 逆に僕は、無力感とは別のものを心に固めていた。この山を出ていく事だよ。もう、ここには未練も何もなかった。これから定期的に生贄を差し出されるのもうんざりだしね。竜の寿命はおそろしく長いけど、無駄な時間を過ごす気にはなれなかった。

 僕は立ち上がった。その洞窟は、僕が立ち上がれるくらいには高さがあった。僕のお腹の下で物音がした。僕が立ち上がった事で、ルシファーが僕の寝床の上に倒れた音だね。それから僕はルシファーを踏まないように、だけど翼を天井にぶつけないように歩きながら、洞窟の外に出た。昨日の雨はどこかに行っていて、とても晴れ渡っていた。旅立ちの日には丁度よかったね。

 僕はそのまま歩き続けた。翼を広げて飛んでもよかったんだけど、四つの足で歩き続けた。これからどこに行こうか考えてた事もあったし、「何かの期待」もあった。そう、彼には翼がないから空までは追ってこれない。だから歩き続けた。

 彼は、僕の期待を裏切らなかった。枯れ始めた木が目立つ森の中をしばらく歩いてると、僕の後ろから駆け足でルシファーが近づいてきた。彼は、僕の隣に並ぶと速さを落として歩き始めて、そして僕の顔を見上げた。

 僕もルシファーに視線を落とした。ルシファーから僕がどう見えてたかは分からないけど、僕から見てルシファーは、昨日よりは少し穏やかな顔で、僕にちょっとした「何かの期待」を抱いてる目をしてた。頭の毛も服も生乾きで、僕への手土産が入った袋の紐を片方の肩にかけてて、僕に何かを言った。

 僕にはやっぱり彼の言葉が分からなかったけど、まあ、今更「どうぞ食べてください」じゃないよね。たぶんそれは合っていたと思う。ルシファーが革袋を歩きながら片腕に抱え直して、その口を開けた。

 そこには例の赤い果実が顔を覗かせてて、ルシファーがそれを取り出して僕に差し出した。たぶんそれは、彼にとって何かの試しだったんだと思う。僕もルシファーの事を試してたし。

 僕は歩きながらルシファーに顔を近づけて、ゆっくりと舌を伸ばして果実を受け取った。僕の唾でルシファーの手がべとべとになった。それでもルシファーは少しだけ笑顔を作った。僕が考えている事を分かったんだと思う。

 そう、僕は僕の旅にルシファーを連れていく事にした。理由は、その時は暇潰しなのが大きかったね。人間一体抱え込んだだけで、ミドルの僕に危険が増す事なんてない。竜でも血族でもなんでもないから、いざとなったらどうにでも処分できる。ルシファーもその事を分かっていたと思う。だけど、生贄として僕に食べられるより先の寿命があるなら、それにしがみつくよね。村にはもう戻れないだろうし。

 僕は、ふんと鼻で笑った。そして、舌の先で巻きつけてた果実を口の中に入れた。酸味と甘みが広がる。うん、人間よりかは随分美味しいね。この先、少しだけ面白くなりそうだ。その時はそう思ったよ。この先に待ってる僕とルシファーの運命なんて、全然考えてもいなかった。

 突然、ルシファーが顔色を変えて、何かを叫んだ。僕にはその意味が分からなかった。「今更、僕に怖がる事なんてある?」なんてルシファーを少し見下して言いながら顔を前に戻すと、目の前に大きな木があって、僕は横顔を思いっきりそこに打ちつけた。

 いや、痛くはなかったよ。本当だよ、信じてよ。疑ったら許さないよ。それから、洞窟の寝床に今まで集めた金銀や宝石を忘れてきた事も思い出したね。いそいそと洞窟に戻って、ふたりで革袋の中身を食べた後に、僕の財宝を詰めれるだけ詰めたら再出発したよ。

 

 それから先は、竜の寿命で考えたら短すぎるものだったけど、なかなか面白い日々だったよ。とは言え、一から十の全部を言ってたら僕でも時間が勿体ないと思うから、少しだけピックアップして話そうか。

 その前に、まずは旅の始まりなんだけど、僕にはどこか見当をつけて旅に出たわけじゃない。全くの無計画だったよ。元々、そんな事をする気はなかったから。しかも、幼い人間を連れている。ルシファーが僕の足手まといになる事はないけど、僕の旅にルシファーがついていけないかもしれないって考えた。

 だからまず最初に、僕たちの旅はゴブリンの群れを探すところから始まった。ゴブリンは、魔獣の中では珍しく「高い知能」を持った種族で、数十体から、大きい群れだと数百体の数で生活してる。言語体系が竜のそれと似てるから、お互いに片言だけど言葉で話が通じる。僕にとっては、人間よりもよっぽど信用できる連中だ。

 あの山を離れてからそんなに経たずに、とあるゴブリンの群れを見つける事ができた。最初は武器を持った連中に囲まれたよ。その時は、僕の足にルシファーがしがみついてきたなあ。一緒に旅をするようになってまだ数日の内だったけど、彼は僕の事を頼っていた。僕が彼をゴブリンに売り渡すつもりだったらどうしてたんだろう。まあ、僕にそんな気はなかったんだけど。

 僕が足の指でルシファーの革袋を指すと、彼は袋の中身を取り出して、地面に並べられた僕の財宝を見て連中の目の色が変わった。それから、騒ぎを聞きつけたゴブリンの長老が僕たちの前に現れて、取引の話し合いが始まった。僕が損をするのは嫌だったけど、つまらない裏切りでルシファーを失う方がもっとつまらない。結局は、財宝の三分の一を渡す事で取引は成立した。

 うん、僕たちの旅に、と言うかルシファーに足りないものは「準備」だったんだよ。それは服や食料や武器でもあるし、それから薬に、そしてルシファーの体の強さや「人間の住処の外の世界」で生きていく準備だね。僕だけだったらこんな事をする必要はないけど、彼には何がなんでも必要だった。

 僕には子育ての経験が何度かあるけど、服や武器を作ってあげる事はできないし、毒の竜だから薬は必要ないし、体の作りも違うから力の付け方も教える事ができない。人間の村を襲う事を考えたけど、これからの旅でそれが悪い噂になるのは不都合だ。だから、知能も体も人間に一番近いゴブリンを頼ったってわけ。

 これはもう少し後の方で出会う事になる、身寄りのない幼い人間を集めて育てている物好きなミドルの「抱擁するオブダレーニク」に言われた事なんだけど、「初めて人間と一緒に生活するのにそこまで考えが回るなんて、俺よりすげーじゃん」って驚かれたなあ。まあ、悪い気はしなかったよ。

 

 話をゴブリンの群れでの生活について戻すよ。

 僕との取引でまず、ゴブリンは人間から盗んだものを保管してある洞窟へ僕たちを案内した。その洞窟は僕が入っていけるほどの広さじゃなかったから、中のものを外へ持ってこさせた。

 地面に敷いた布や革の上にゴブリンが並べたものは、人間の服や道具や武器だった。それに、ゴブリンには必要がない人間の薬もあった。ゴブリンたちを見渡した後に、ルシファーが僕を見た。僕は彼に向かって小さく頷いた。それから、少しだけ人間の言葉を知ってるゴブリンの一体が「選べ」と言ったらしい。今思うと、取引の中に人間の言葉を教わる事も入れておけば良かったよ。まあ、後悔先に立たず。

 ルシファーが選んだものは、今の革袋より大きい背負い袋や、肉や植物を食べやすくする道具、薬が入った小さな壺、それから、今着ているものと同じ人間の雌の服だった。生贄として何かの事情があるかもしれないと思ってたけど、ルシファーの服はやっぱり彼の好みだったみたい。ゴブリンが「いいか?」って言ったらしくて、ルシファーは頷いた。

 

 それから一月くらいは、その群れの世話になったよ。と言っても、世話になったのはルシファーで、僕は長老の駒遊びに付き合わされた。「取引が、おわるまでに、勝ちこせたら、代金は、少しまける」という賭けに乗って。僕の結果だけ先に言うと、いや、やっぱり黙っておくよ。

 僕が長老や、僕の代わりに駒を動かすゴブリンと世間話をしている間に、ルシファーはゴブリンたちから「生きる力」を教えてもらった。単純な体力作りから、食べられる植物や肉の見分け方、山の歩き方や、武器の扱い方。

 中でも、ルシファーに短剣の扱い方を教えていたのは、彼と同じ片腕の、逞しい体つきのゴブリンだった。たぶんそのゴブリンとルシファーは、単なる取引相手だけじゃない何かを感じていたと思う。そのルシファーの結果だけ先に言うと、これからの旅の中で、彼が自分で自分の身を守ったのは一度や二度じゃない。

 最初はその気はなかったけど、そういうのを賭け遊びの合間に見ていた僕は、「もしかしたらルシファーの幸せは、ゴブリンたちと暮らす事かもしれない」と思ってた。だけど、ルシファーは夜になると必ず、僕が急拵えで作った大樹の下の寝床にやってきて僕と一緒に眠った。僕は嫌がらなかったし、彼の顔は日に日に笑顔が増していった。お互いに言葉が通じないのは知ってたから無言だったけど、僕もルシファーも「何か」を感じていたんだと思う。ルシファーにとっては、剣の師匠に感じるものとは違う「何か」を。

 

 そうして、ゴブリンの群れを離れる頃には、ルシファーの顔つきは少しだけ成長していた。僕が仕留めてくる動物や魔獣を慣れた手つきで捌いたし、旅に出た頃と違って休憩の回数も減っていた。

 それでも、僕にとってはまだまだ頼りなくて、いや、そんなに頼りにしてはいなかったし、それとは別に僕は待っていた。だけど、元々控えめな性格なのか、ルシファーは「何か」をなかなか信じる事ができなくて、僕は随分焦らされたよ。あまりにも性欲を持てあまして、ある時、僕はルシファーの肩を後ろから爪で叩く振りをして、大きくしたおちんちんを突き出した。いやあ、振り返った瞬間とてもびっくりしたルシファーに、危うくおちんちんを切り落とされるところだったよ。あの時は僕もちょっと驚いた。

 そんな事を続けながら旅をしていたら、やっとルシファーが僕に体を許してくれた。うん、まあ、正直に言うと、あの時は嬉しかったね。ルシファーの裸は、筋肉がつき始めで、体には腕の付け根の下とおちんちんの上にしか毛がなくて、もちろん彼は人間で、だけど僕はそんなルシファーに興奮したね。これまで何度か竜の雌と番ってきたし、一度は雄同士で尻尾を巻きつけ合って体を重ねた事もあるけど、うん、とてもエッチだったよ。

 彼は人間だから体で僕のおちんちんを受け止める事はできなかったけど、僕はルシファーを愛したし、ルシファーも僕を愛してくれた。これ以上詳しくは言わないけど、まあ、色々なエッチをしたね。これも旅の暮らしの他に、彼の体を鍛える事になったと思うね。

 

 言っておくけど、僕はルシファーに無理やり迫った事はないよ。「おちんちんこんにちは事件」は、まあ、ちょっとしたジョークだよ。

 とにかく、僕は彼の意思を尊重した、基本的には。僕が足を踏み下ろせば簡単に殺せる生き物だけど、「する」となれば話は別だ。「体の付き合いは心の付き合いで、命の付き合いでもあるから」。これは僕がその時よりも若い頃に、初めて番った歳上の雌から教わった言葉だ。僕はこれがルシファーにも当てはまると思った。竜と人間だけど、いや、竜と人間だからこそ。格好つけすぎな台詞かな。

 

 まあ、旅の話の本筋に戻るよ。

 僕の住処やルシファーが住んでいた村があったのは北大陸の南の方で、僕たちはここから北東に進んで、山脈に突き当たったら南下して、その後は海峡を渡って東大陸に入る事を決めた。と言っても、決めたのは僕だけで、ルシファーはついてきただけだね。まあ、それでも、僕たちふたりの旅に変わりない。

 東大陸を目指した理由は、特に何もない。強いて言うなら、ここ一万年くらいは東大陸に行ってなかったから、久しぶりにそっちに行こうと思ったくらいかな。後は、「ミドルの中には、鍛錬によってエイペックスになる竜がいる」という迷信を確かめたかっただけ。

 

 ここからは少し早足で話すよ。

 当初の目的地である北大陸の半島までは、まあ、色々な事があったね。ルシファーはゴブリンから生きる力を教えてもらっていたけど、それだけじゃ不十分だった。まあ、当然だよね。アクシデントなんて、いつも舞い込んでくるのが当たり前なんだから。

 つまりは、苦労の連続だったよ。人間の盗賊に襲われた事もあったし、ルシファーがミドルの雌に攫われた事もあったし、なぜか人間の戦争に巻き込まれた事もあったし。とにかく、思うように旅は進まなかった。海峡までは歩きだとしても二年あればどんなに遅くても着くと思ってたけど、その二年目に僕とルシファーは、とある渚で人魚たちとダンスコンテストをしてたよ。

 まあ、苦労は多かったけど楽しかった。実を言うとね、あの山を出た頃は、僕は邪魔になったらルシファーを処分しようと思ってたんだよ。これはさっきも言ったね。だけど、僕はどんな面倒に巻き込まれてもそうしなかった。

 できなかったとも言えるかもね、悔しいけど。僕にとってルシファーは大切な存在になっていた。そりゃあ、彼にはたくさんの迷惑や面倒をかけられたよ。

 理由はよく分からないけど人間に捕まったルシファーを助ける為に人間の城を僕ひとりで襲ったし、人魚とのダンスコンテストに負けて巻貝にされたルシファーを人間に戻す為に人間の魔法使いから残りの財宝全部で薬を買った事もあるし、ルシファーが間違って毒キノコを食べて半月も移動できない事もあったし、よりにもよって、おっと口が滑った、「知る者カンシーネイス」の娘にあたるヴァストに目をつけられて彼を背中に乗せて逃げ回ったし。ああ、そうだ、また攫われて探し回ったら羊に変えられてて、人間なのも忘れて呑気に草を食べながら糞をしてたから、過去を司るエイペックスの「遡上するギィスーン」にいつか返す借りで力を使ってもらって、人間に戻した後で僕の気が済むまでエッチしたんだっけ。

 いやあ、大変だったよ。本当に、この僕が泣きたくなるくらい。だけどね、その泣きたくなる理由に「ルシファーを失いたくない」ってものがあったんだよ。一つの困難を乗り越える度に、僕たちの絆は一層深まった。エッチも激しくなっていったよ。

 

 それに悪い事ばかりじゃなかった。僕がルシファーを助ける為に人間の城を滅茶苦茶にしたら、その周りの村の人間に四日四晩は続く宴とありったけの食事を用意されたよ。人魚とのダンスのリベンジマッチに勝ったら、人魚の頭領をしているエイペックスの「歌声のレエ」から、山のような真珠と珊瑚のご褒美があった。それでゴブリンにからくり仕掛けの義手を作らせたら、彼は泣きわめくほど喜んでくれたなあ。襲いかかってくる魔獣の群れをふたりで一晩かけて狩りつくした時は、興奮のあまりそのままエッチになった。ルシファーが食べた毒キノコを僕も食べてみたら、尻尾の毒針が一本から二本になって毒も強力になった。カンシーネイスのヴァストから逃げる時も、実を言うと僕は飛ぶのがあんまり得意じゃなかったから、今思えば海峡を越えるいい練習になった。ルシファーを羊にして売り飛ばした魔法使いの人間の連中をギィスーンの力で全員赤ん坊に変えて、そいつらをオブダレーニクが買い取る事で、ギィスーンに対する僕の借りはなくなった。オブダレーニクが口添えしてくれたおかげで、半島の先端を住処にしてるミドルの「潮目のウチジェヌジェ」が僕たちへ特に突っかかる事がなく通してくれた。

 

 ああ、そうだね。今思えば、それが僕たちの幸せだったんだと思う。僕にとっては八万二千九百六年の内のたった数年だけど、もしかしたら一番満ち足りてた時間だったかもしれない。ルシファーがいなければ経験できなかった事を、空想だと思ってたエイペックスと出会えた事を、何よりルシファーと一緒の時間を、僕はルシファーに伝える事はできなかったけど、幸せだった。本当に、どうして何度も機会があったのに、人間の言葉を覚えなかったんだろう。いや、君の所為じゃないよ、カンシーネイス。悪いのは僕だ。

 

「アーヴィ、大丈夫?」

 

 ああ、大丈夫だよ、ウィニーテウ。続けよう。今の、ノイズになっただろうね。

 話を戻すよ。その頃にはルシファーと僕はそれぞれ、「からくりの左腕の麗人」と「お節介焼きの毒竜」と呼ばれるようになっていて、旅の途中で出会ったミドルによると、僕たちの噂は南大陸まで広がっていたらしい。生きる事を諦めてた人間と隠居みたいな生活の竜が、あんなところまで知れ渡るなんて、ちょっとは誇らしかったね。

 

 それから、ウチジェヌジェの住処で嵐が過ぎ去るまで何日か世話になって、とても晴れ渡ったある日に、僕たちは海峡を越えた。

 北大陸と東大陸の岬の間と言えば短い距離に思えるけど、実際は海と水平線しか見えない場所を飛んだ。いや、怖くはなかったよ。背中にはルシファーがいたし、僕を先頭に大きな海鳥みたいな魔獣が矢じりの形で隊列を組んだから。

 うん、気持ち良かったよ。どこを見ても空の青色と海の青色だけで、そんな中を風を切って飛んでいた。僕とルシファーと便乗してきた魔獣の他には誰もいなくて、そこが世界の果てに思えた。

 いや、違った。僕はワクワクしてたんだ。北大陸では面倒な事も嬉しい事もたくさんあって、これからもルシファーとそんな旅の日々を、どこまでしていけるんだって。背中に振り返ると、長い髪をなびかせるルシファーは僕と目が合うと笑った。もちろん僕も笑い返したよ。

 僕たちは番いじゃない、番いにはなれない。だけど友達でも、性欲を満たし合う関係でもない。もちろん、「ビューティ・アンド・ビースト」のようなロマンチックなものでもない。名前がない関係だけど、この時には、僕はルシファーにすっかり惚れ込んでた。答えが42と分かってるなら問いは必要じゃないようにね。

 世界で一番誰よりも大切だと思った。彼に知られたら恥ずかしいから、それからも何気ない振りをしたけど、僕はいつだって彼に僕の顔を抱きしめてもらう事を望んでた。

 大好きだった、本当に。あんなに辛くなるなら、ルシファーと出会わない方が幸せだったと思うほどに。

 

 うん、なんとなく察してると思うけど、ここからはあんまり楽しい話じゃないよ。僕たちの幸せは、無事に東大陸の土を踏むまでだった。うん、ここまで話したら、全部話さなきゃいけないね。最初からそのつもりだったし。

 

 まず、東大陸の特徴から話すよ。東大陸は、東西南北の四つの大陸の中で一番小さい。と言っても、大陸だからそれなりの大きさはある。そして、他の大陸より人間の町が極端に少ない。その理由は、「竜と人の間で交わされた古の盟約」だとか「人間の教えで、東大陸は汚れた大地と言われている」とかいろんな噂があるけど、本当のところは分かってない。いや、僕はその時より随分後にマキフィネから本当の理由を聞いたけど、やっぱり楽しい話じゃなかったね。

 それなりに人が多い町は、大陸の下の方にある港町と、そこに近い島々だけ。大陸の中の方は、移動を繰り返してる命知らずの魔法使いや盗賊の溜まり場が少しあるだけ。今思うと、たった数年しか旅をした事がないルシファーを東大陸に連れていくべきじゃなかった。

 

 まあ、さっきも言ったけど、後悔先に立たずだね。僕たちの話に戻るよ。

 東大陸に来たルシファーは、人間の手が入ってない大自然を見て目を輝かせた。もう一人前の冒険者気取りだったよ。そんな彼を見て、僕は少し微笑ましく思ったね。

 最初の夜に、もう僕たちは海のそばの森の中でエッチをした。幼い雄から成熟した雄に変わりかけたルシファーは、それはもう魅力的で、僕たちは僕たちを不思議そうに眺める魔獣をそっちのけで愛し合った。

 次の日からは、これまで人間が歩いた事がないと思う森の中を、いつものようにふたりで旅した。ルシファーはそこでも雌の服を着てて、だけどそれが邪魔にならないくらいの身のこなし方を覚えていた。

 人間がいないから厄介事に巻き込まれない。竜に出くわしても、ミドルなら話せば分かってくれる。ヴァストに追いかけ回されても、ルシファーが成長したように僕もそうだったから、彼を背中に乗せても簡単に振り切る事ができた。単調なようで、僕にとってはルシファーがいるから何もかもが新鮮な東大陸の旅だった。そして、僕たちにとって最後の穏やかな日々だったね。

 

 うん、最初の異変は、ルシファーが少し寝坊癖がついた事だった。それは寝坊癖なんかじゃなかったんだけど、その時の僕は単にそう思ってたよ。

 それまでは、僕が目覚める前にルシファーが起きてる事がほぼ毎日だったけど、そんな僕より彼の目覚めは遅くなった。それだけで僕は不思議とも思わなかった。東大陸はルシファーをいきなり攫うような人間がいない。気性が荒い動物や魔獣は僕の存在が近寄らせない。だから安心しきってるんだって思ってた。だけど、それは僕の見当違いで、彼は調子が悪いのを隠してた。

 今思うと、健気なのは彼のチャームポイントだったね。だけど、言って欲しかった。いや、僕とルシファーじゃ話す言葉が違った。だから彼は隠す事ができた。自分ではちょっとした、すぐに治る不調だと思ってたのかもしれない。でもね、違った。

 次の異変は、日中に移動する時に休憩の回数が多くなった事だ。これも僕は、最初は変な事だと思わなかった。彼が休憩の場所に選んだのは、大きな滝の近くや見晴らしのいい崖の上とか景色のいい場所だったから、自然を満喫しながら旅をしたいんだと思ってた。だけどそれは、彼なりの嘘のつき方だったんだろうなあ。たぶん当たってるね。この頃から、エッチの回数も徐々に少なくなってきた。

 

 このあたりから、僕は不審に思い始めた。だけど、言葉が違うからルシファーに質問する事はできなかった。それに、数年間の付き合いの中で無理やり押し倒して問いただす事も遠慮してしまった。それが本当に良くなかった。運命の別れ道は、僕が躊躇ってしまったほんの数日間で決まってしまったのかもしれない。あるいは、そもそもルシファーに出会った事自体だったのかな。

 ああ、こういう辛気臭い話し方は良くないね。それに、僕じゃギィスーンのように過去には戻せない。もっとも、ギィスーンでも時間そのものは簡単には戻せないんだけど。うん、ちょっと冗談を入れてみたけど、ここからはちょっと覚悟してね。

 

 僕が躊躇したほんの数日の後に、ルシファーはいきなり倒れた。森の中を歩いてる途中でね。フッと、糸が切れた操り人形みたいに。ほぼ間違いなく、ずっと我慢してて、ついに限界が来たんだと思う。

 その頃にはすぐに疲れるルシファーに頼まれて旅の荷物を僕の背中に括り付けてて、その僕は旅の手助けになる道具や薬が入った革袋を振り落としながらルシファーのそばへと走った。そして、ルシファーが着ていた人間の雌の服を、もう直してもらえなくなるのも承知で自分の爪を使って引き裂いたよ。

 首元からお腹まで一直線に引き裂いた服の下には、ルシファーの体にはところどころ紫色の痣みたいなものが浮き上がってた。この時に、僕はそれが彼の体にあるのを初めて知った。それから腕や足の部分の服も引き裂いてみたんだけど、ルシファーは手持ちの服の中で体の異変を上手く隠せる服を選んで着ていたみたい。ルシファーの調子が良くなったらどんなエッチをしようか考えていたその頃の僕は、自分の馬鹿さ加減を頭ごと嚙み千切りたくなったね。

 

 荒い息を吸って吐いて、それから僕に向かって何かを呟いてるルシファーに、僕は怒る気力もなかった。いや、違うね。僕はそれどころじゃなかった。第一に考えた事は、「どうやったらルシファーを失わないで済むか」だった。

 たぶんルシファーは僕に謝っていたんだと思う。彼は誰にでも、特に僕へ優しかった。そんなルシファーの両目からぽろぽろ零れる涙を舌で舐め取ってから、僕は彼の唇へ静かにキスをした。しなきゃいけない事はもう決まってる。怒るのもエッチをするのもその後で、今はこれまでの僕たちにとって最大の難関をクリアしなきゃいけない。

 

 だけど、問題はそこからだった。さっきも言ったように、東大陸には人間が少ない。しかも、僕たちがいたのは大陸の北で、南端にある人間の町に着くまでルシファーの体力が持つか分からない。しかも、ここまで弱ったルシファーでは飛ぶ時に当たる風が体力を更に奪うかもしれない。人間の冒険者に出会う確率は、期待しない方が余計な絶望をしないだけマシだった。だとすれば、頼るべきはゴブリンのような「高い知能」を持った魔獣か、同じ竜だ。僕の足と爪じゃルシファーに代わりの服を着させてあげれないから、破れた服のままで革袋ごと大きな葉っぱに包んで、それから彼を口に咥えて歩いた。

 

 それから、何度か「高い知能」を持った魔獣やミドルに会ったけど、連中から聞いた答えに僕を喜ばせるものはなかった。それでも僕は諦めなかった。ルシファーの状態は、一日ごとに悪くなっていった。嘆いてる時間はない。それに僕は、この世界の生殺与奪を決められる竜の眷属だ。うん、もちろん強がりもあったよ。そうでもしないと、僕は前に進めなかった。立ち止まったら二度と歩き出せない気がしたし、何よりルシファーの為に僕くらいは笑っていなきゃいけなかった。

 だけど極めつけは、偶然出会った治癒を司るミドルの「施しのヘレシェウ」の言葉だった。彼女の言葉は、僕が一番聞きたくなかった、僕が一番恐れていたものだった。

 「毒針のキヴィアーヴィ、お前の毒じゃないのか?」って。そう、ルシファーの服を引き裂いた時に僕自身も思った。彼の体の異変は、僕がそれなりに体が丈夫な魔獣に毒針を刺した時の、毒が回って倒れる前の症状にとても似ていた。

 結果から先に言うと、僕の無理を聞いてくれて力を使ったヘレシェウでもルシファーの体は治せなかった。治癒のミドルよりも強い病だった。その事実も、彼の異変が僕の毒によるものの可能性が高い証拠だ。だけど、はっきりとした確証はなかったし、僕が認めたくなかった。

 最初は珍しい玩具くらいに思ってたけど、ルシファーは僕にとって何者にも代えがたい大切な存在だ。とても大切に扱ってきた。僕の爪が彼を傷つけた事はなかったし、どんな時にも尻尾の毒針が彼の体の方へ向くようにした事はなかった。

 だけど、僕は毒を司る竜だ。自分では分からないけど、僕の体の表面から毒がにじみ出ていたのかもしれないし、唾液や他の体液に毒が混じってた可能性だってある。憶測だし、今の僕には体に作用する毒はないから確かめようもないんだけど、それはその時に大した問題じゃなく、ルシファーをどうすれば救えるかが重要だった。

 まあ、さすがにヘレシェウから「いっその事、お前の爪か牙で楽にしてあげる事が、この人間にとって幸せかもしれない」と言われた時は、彼女が飛び去った後に泣いたね。どんなにルシファーから迷惑をかけられてもため息だけで済ませてた僕が、初めてルシファーの前で泣いた。一度泣き出すと、もう止められなかった。鱗に覆われた僕の顔がクシャクシャになる事はなかったけど、涙と鼻水が止まらなくなった。

 しかもね、そんな僕を見てルシファーは本当に健気で、顎を地面につけて泣く僕に彼が腕を伸ばしたんだ。もう体力はほとんど残っていないはずなのに、それでも僕を見て笑ったんだ。僕と出会った時は怯えて何もできなかった人間の幼い雄が、「残す者」の悲しみを和らげようとしたんだと思う。一度は死の覚悟を決めた生き物の強さかもしれないし、旅の中で成長したのかもしれない。

 だけど僕には、こう言っちゃなんだけど、ありがた迷惑だった。まだ諦めたくなかったんだ。ルシファーにそんな達観した顔をさせている僕が憎かった。僕はまだ達観できなかった。別れは誰にでも来るなんて、そんな風に考える事なんてしなかった。

 ルシファーに代わって僕が死ねばいいんだとさえ思った。この世界の、ルシファー以外の全部を呪った。特に僕の父親を呪った。頭の中のどこかでルシファーの最期を安らかなものにしてあげようとしている僕を組み敷いて、なんとか彼が助かる方法を泣きながら考え続けた。

 

 まあ、情けなかったね。今だからそれなりに笑い話にできるけど、その時の僕は余裕がなかったよ。そして、「最後の手段」に頼ろうとしていた。僕の涙がようやく枯れ果てた次の日には、ルシファーはもう今日の夜さえ越えられそうにないほど弱ってた。ルシファーを救うにはこれしかない。彼の意思を確かめる事ができなかったから躊躇ってたけど、毒を消すには毒しかない。

 そう思って僕の毒針を初めてルシファーの体へ向けたその時に、僕は森の上で一体の竜が円を描いて飛んでいるのに気がついた。それからすぐに、その竜は僕たちから少し離れた場所に降りて、森の中を歩いて僕の目の前に現れた。

 

 まあ、一度決めたはず覚悟がグラグラするほどだったね。迷う時って、本当は迷ってるんじゃなくて誰かに賛成してもらいたいだけだけど、これには本当に迷った。

 僕たちに会いに来た竜は、体が僕が知ってる姿から変わりかけてた。元々あった一対の翼の他に前足がもう一対の翼に変わりかけてて、二本の後ろ足だけで立つ為の体にも変わってきていて、顔立ちも更に凛々しくなっていた。だけど、声は変わってなかったから僕はすぐに分かった。

 彼女は、かつて僕が初めて番った雌で、ミドルからエイペックスになりかけていた「祈りのワーヴ」。僕と番っていた頃は僕と同じ毒の竜だったけど、力は「蜜のように甘いけど竜でさえ殺せる毒」から「命そのものを司る」に変わってた。ワーヴは、僕たちが東大陸に渡ろうとしている頃に噂を聞きつけて、それで興味が湧いて僕たちに会いに来たところだった。

 懐かしい再会だったけど、今の僕はルシファーが死にそうでそれどころじゃなかった。僕が知ってるワーヴは、僕の親のようによく説教をしてたけど、ルシファーの前で疲れきった僕を見た彼女は優しく抱きしめてくれた。僕にはルシファーがいたけど、それでも嬉しかったよ。彼女に抱きしめられると、枯れたと思ってた涙がまた溢れてきた。

 

 だけど、ここからが本当の問題だよ。今にも消えてしまいそうな息をしてるルシファーを目の前にした僕を、ワーヴが僕と番ってた時のように厳しい目つきで見つめた。選ぶのは僕だからね。僕もそのつもりで、ワーヴに代わってもらおうなんて少しも考えていなかった。僕がルシファーの人生に介入した。僕自身を守れなくても別にいいけど、僕が始めた事には僕自身でケリをつける義務がある。

 だけどね、迷うよね。たった一つだけと思ってたルシファーを救う方法が、彼女が来た事で二つに増えたんだから。

 そう、ルシファーを救う方法はあったんだよ、最初から。だけど、これには大きな代償を払う事になる。元から考えてた僕の毒を使う方法でも、エイペックスになりかけたワーヴの力を使うにしても。だから僕はこの時まで躊躇ったんだ。

 

 僕の毒の方から話そうか。僕の毒は、この話の最初の方に「生き物の体を作り変えるけど、竜以外の生き物はその変化に耐えられず体が腐って死ぬ毒」って言ったのを覚えてるよね。じゃあ、毒の量を調節すればどうなるか。僕の毒は「結果として体を腐らせる毒」だけど、本質は「竜じゃない生き物を竜にする毒」なんだよ。うん、そういう事。ルシファーを救うには、彼を竜にするしかないと思った。

 だけどね、やっぱりそれは彼の気持ちを聞いてからにしたかった。だから、ここまでその覚悟を決めれずにいた。ルシファーだったら許してくれそうだったけど、僕が死んでも人間になりたくないように、ルシファーだって竜になりたくないかもしれない。僕の毒を彼に流し込むかは、答えを聞いてからにしたかった。それに、毒の力で竜の体に変わったら心が壊れてしまうかもしれないし、ルシファーを苦しめてる病が僕の毒で治る保証もなかった。

 うん、そうだよ。僕がここまで言葉言葉言ってるのは、僕とルシファーじゃ話す言葉が違って、彼に「治るかは分からないし、竜になってもいい?」と聞けなかったからだよ。これはジェスチャーで伝える事ができそうもなかったし、この時のルシファーは目を開けているのがやっとの状態だった。もうルシファーの気持ちに関係なく毒を打ち込もうとした時に、ワーヴが現れたんだよ。

 今、「じゃあ、エイペックスになりかけたワーヴの魔法でルシファーの答えを聞けばいい」って思ったよね。その時の彼女には、もちろん僕にもできなかった。その理由は、「知る者カンシーネイス」の存在だよ。あんな事になるなら、つまらない意地なんていつまでも張らずにさっさと謝りに行けば良かったね。ね、カンシーネイス。

 

 「知る者カンシーネイス」は、その時は「文字を司るミドル」で、今は「言語そのものも司るエイペックス」だよ。つまりは、竜が人間と言葉を交わすには、カンシーネイスの力か、彼の力を再現した魔法が必要だったんだ。念の為に言っておくけど、知識を司るマキフィネに頼っても解決するけど、僕が彼に会ったのはこの時よりずっと後だよ。あの時の僕やワーヴにとってルシファーの意思を確かめるには、カンシーネイスの力を知っておく必要があった。そして、主に僕の一族とカンシーネイスの一族は、あの頃はとんでもなく仲が悪かったんだよ。

 僕の父親がね、少しは仕方がなかったらしいけど、カンシーネイスの実の子供である一体のヴァストを殺したんだよ。当たり前だけど、それを知ったカンシーネイスはとても怒って、僕の一族以外の毒竜さえカンシーネイスの一族と険悪になったんだ。

 こういう時に、竜のプライドの高さが仇になるね。そう、元々は毒竜だったワーヴも、「言葉の魔法」は知らなかったんだよ。魔法は狩りの上手さのように、生まれつきじゃなく学ぶものだ。ワーヴにそれを教えた事を知ったら、カンシーネイスの逆鱗に触れるようなものだから、誰も彼女に教える事ができなかった。今から適当な魔法使いの人間を脅したり、カンシーネイスの一族と繋がりがあるエイペックスに頼むのも、あまりにも時間が足りなかった。あっ、ちなみにこの世界で逆鱗を持つ竜は二つ三つくらいの血族のみで、カンシーネイスの一族にはないよ。今の話の流れにはどうでもいいけど。

 まあ、そういう事情があって、僕もワーヴもルシファーに質問する事も、答えを聞く事もできなかった。じゃあ次に、エイペックスになりかけたワーヴの力について説明するよ。本当に悩んだよ。なにしろ結果が真逆だからね。

 

 ワーヴ、いや、エイペックスになりかけた「祈りのワーヴ」の力は、さっきも言ったけど「命に関するもの」。その中にはいろんな方法や種類があるけど、この時のルシファーを救う手立てとしては、「彼の魂を別の世界へ転生させる」というものだった。

 もう一つの選択肢である僕の毒より、更にブッ飛んでるよね。お互い元は毒の竜だったのに、ワーヴの方は毒じゃなくなるのもそうだよね。もう少し、だけど簡単に説明するよ。

 ワーヴは生き物の魂に触れる事ができて、それの行き先を決める事ができた。その時まで僕は知らなかったんだけど、僕たちがいる世界以外にも別な世界があるらしいね。ワーヴの力は、魂を別の世界に導く事までできた。この時より後でマキフィネが教えてくれた、この世界の人間の宗教で言うところの「天国」まで。

 仮にルシファーの魂を転生させたら、その世界で新しく生まれてくる人間の赤ん坊になって、病を治すんじゃなく、病そのものから完全に逃れる方法になるってワーヴが言った。

 だけど、こっちの方法にも僕の毒のように不都合なところがある。何にしても全部が全部丸く収まるわけじゃないね。やっぱり今だからこうして笑いながら話ができてるけど、あの時の僕には一瞬が一年に思えるほど、重く苦しかったよ。

 ワーヴの力でルシファーを転生させるとなったら、新しい体に魂が宿る時に今までの記憶を失ってしまう。そう、僕と過ごした時間をね。体も生き方も新しくなったルシファーが、本当に彼が彼である本質が残っているのか、僕には「当たり前でしょ」と言い切れなかった。

 それに、こっちの方がもっと重大だった。ワーヴの話だと、別の世界っていくつもあるらしいけど、「人間も竜もいる世界」って今の僕たちがいる世界しかないみたい。どちらかがいる世界は星の数ほどあるらしいけどね。つまり、ルシファーが転生で別の世界に行ったら、僕はもう二度と彼に会えない。彼のいる世界に竜はいないから、僕がルシファーを追って転生する先がない。

 これをワーヴから聞いた時は、僕の顔は鱗に覆われてるけど青ざめた気がしたよ。しかも彼女は追い打ちのように、あらゆる抜け道は塞がれてる事を説明し始めた。いや、それがワーヴの優しさだったよ。何を選んだとしてもルシファーの運命を決めるわけだから、目を逸らしたり甘い考えに浸る事はできなかった。

 僕は毒の竜だし、旅の中で成長して普通のミドルよりかは力が強かった。変身薬みたいなものは全くきかない。強い魔法で姿を変えたとしても、竜としての魂の形が変わるわけじゃないから、別の生き物として転生する事はできないみたい。それに、魂を別な世界に送り出すのは簡単だけど、いくらエイペックスになりかけたワーヴでも別の世界から魂を引き寄せるのはできないらしい。これは完全にエイペックスになったとしても無理って言ってた。僕よりも強い竜だし、昔は番いとして愛と子供を育んだワーヴの言葉を、僕は信じるしかなかった。全部を説明し終わった後に、彼女は「ごめん、私にはこういう事にしかできない」って僕に謝ったなあ。この時の僕が彼女になんて言って返したかは覚えてない。人間の言い方で例えると、僕に与えられた二つのカードの内のどちらかを切る決断をしなきゃいけなかったから。

 

 もう時間がなかった。僕の毒かワーヴの力、どちらかに決めるしか。他の手段、例えばルシファーの体を薬や魔法で治す方法なんかは、もうそんな余裕はなかったし、その選択肢自体がなかった。あ、これはさっきも言ったね。ワーヴの話が終わった頃には、ルシファーは目を開けている事さえできなくなっていた。

 彼自身は、単に最期を待つだけの状態。ワーヴは、僕をまっすぐに見つめて待っていた。僕は、ルシファーからもワーヴからも目を逸らして、歯を食いしばった。

 ミドルだとか竜だとか関係なく、僕は弱かった。斜に構える事に慣れすぎて、自分自身に問いかける事を疎かにしていた。その報いを受けていた。時が過ぎるごとに死に向かってるルシファーの方が、僕よりもはるかに強かった。その彼の運命を、僕が決めなきゃいけなかった。

 

 ワーヴが「この子はきっと、アーヴィがどっちを選んでも納得してくれると思う」って僕に言ってくれた。それも優しさだったし、たぶん「手遅れになる前に決めろ」って意味もあったんだと思う。だけど僕は、ルシファーと言葉で会話した事がない。彼の本心を確かめないまま、彼をどうこうするのが怖かったね。ルシファーへの愛情って意味もあるし、僕が臆病なだけって意味もあった。

 さっきも言ったけど、日が少しずつ昇って影の形が変わってく静かな森の中で僕とワーヴと、大きな葉っぱの上で横になっているルシファーだけの時間が、経験した事がない永遠よりも長く感じた。

 何かの理由があったわけじゃないけど、僕は彼の横顔を自分の舌で優しく舐めた。こんなに慈しむべき存在に、僕はどれを選んでも辛いものを突きつけなきゃいけない。今度は何も呪わなかった。単純に、浅はかな僕を噛み殺したかった。だけど、それはできない。ルシファーの為にも。

 

そして、ルシファーを救済する最後のアプローチとして、僕が選んだのは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一度息を吸って、吐いて、そしてはっきりと、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この子を、竜にする」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 って言いたかったんだよ。僕はルシファーと離れたくなかった。彼と一緒に過ごした月日が、彼に迷惑をかけられ続けた旅が、彼と体を求め合った夜が、僕にとっては揺るぎない真実だった。

 うん、ちょっと演技っぽいね。一番盛り上がるところだから、ちょっと力を入れてみたけど、やりすぎだったね。だけど、彼への想いは本物だよ。その時も今でも。

 

 まあ、僕は臆病だったし、臆病なりに選んだ答えが、「ワーヴの力に頼る」だった。

 僕はやっぱりルシファーを、彼の答えを聞かないで竜にするべきじゃないと思った。まあ、ワーヴの力で転生させる事についても、答えを聞かないでやったんだけどね。ルシファーから人間である事を奪うのは、僕にはできなかった。それに、命の危険が少ない方を選んだのもあるね。僕にとっては、死してなおも輝くものなんてないよ。活きていればこそだよ。

 もし、ルシファーと同じ言葉を喋っていて、彼がまだ話す体力があったら僕になんて答えたんだろう。それも考えたよ。

 たった数年の付き合いだけど、僕は彼の話す言葉以外の全てを知っている。どんな風に笑うかとか、どんな食べ物が好きかとか、どんなエッチが好きかとか、僕を見る目つきはどんなに優しいかとか。たぶん彼も、僕に対して同じだったと思う。ワーヴが言った通り、僕が勝手にルシファーを竜にしても、彼は許してくれたと思う。むしろ、僕と同じ竜になれた事を喜んでくれたかもしれない。

 ああ、いろんな事を考えたよ。ワーヴの力で転生させる事こそ、一番の間違いじゃないのかって思っちゃうくらいに。だけど、僕はそう決めた。今でもあの時の決断が正しかったのか迷うけど、臆病な竜がそれでも考え抜いて出した答えだよ。

 

 僕の答えを聞いたワーヴは、何も言わずまた僕を抱きしめてくれた。いつの間にか、僕はまた泣いていたんだ。まあ、彼女に見られるくらいだったら別に恥ずかしくなかったな。今、カンシーネイスとウィニーテウに聞かれてる方が恥ずかしいね。ちょっと笑いすぎだ。

 まあ、話を戻すよ。一度決めた事は曲げない。もうそんな時間の余裕もなかった。ほとんど心臓がかすかに動いてるだけのルシファーのほっぺに、僕は自分の下顎から目元までを静かに擦りつけた。これでもう二度と会えないお別れだからね。本当はそんな事したくなかったけど、彼が助かる為にって、ずっとこうしていたい気持ちを押さえつけて僕は彼から後ずさった。

 僕が悩んだ時間は長かったのに、それからはあっという間だったよ。ルシファーの体に近づいたワーヴが、翼になりかけた右の前足を彼の体の上に掲げた。それから彼女が目をつむると、ルシファーの体がポワポワと輝き出した。思わず「やめてくれ」って叫びそうになったよ。だけど必死に、四つの足の全部に力を込めてこらえた。目を逸らしたくなったけど、そうしたら後悔すると思って、その光景を見守り続けた。僕が生きてきた中で、あの時ほど辛い事はなかったね。

 それから、ルシファーの体が見えないほど光が強くなっていって、それで森の中の動物や魔獣が騒ぎ出した頃に、ルシファーの体そのものが光の筋になってワーヴの足を突き抜けて空の彼方へと消えていった。森の中のどこにもルシファーはいなかった。地面に大きな葉っぱが敷いてあって、その上に引き裂かれた人間の服が置いてあって、ワーヴの右足には光が貫通した痕なんてなかった。

 急に現実味が薄れたって言うか、僕はショックを通り越して頭が回らなくなっていた。僕は森の地面に腰を下ろして周りを見渡した。ルシファーがここにいた痕跡は、破れた服と置き去りにされた義手と僕の足元の革袋と、記憶の中だけ。肝心の彼そのものはどこにもいない。もう会えない。さよならを言ってなかったのを思い出したし、彼は別れの挨拶を言い返せるような状態じゃなかった。だけど、その証拠はもうこの世界のどこにもない。「からくりの左腕の麗人」と「お節介焼きの毒竜」の旅は、たった今あっけなく終わったんだ。残されたのは、彼がいない世界に僕ひとりだけ。

 

 また演技っぽくなったね。まあ、それはともかく、僕はそれからワーヴに命の心配をされるほど泣いたね。うん、竜の一生分以上泣いたと思う。涙や声が枯れても泣き続けた。その間、ワーヴは僕のそばにいてくれた。ようやく僕が泣きやんで落ち着いてから、彼女は僕のもとを飛び去った。ここまでが、僕とルシファーの旅だよ。

 

 うん、どう思ったかは分からないけど、僕自身の感想を言うなら、やっぱり僕たちは「ビューティ・アンド・ビースト」のような関係じゃなかったね。カンシーネイス、ウィニーテウ、ここからが本番だよ。

 

 うん、こっちの話だから気にしないでね。そう、君に言ってるんだよ。これを君は何で見てるかは分からないし、携帯電話でもパソコンでもなんでもいいんだけど、まだ閉じないで。いや、君に危害を加えたいわけじゃないから安心してね。

 

 実はね、僕とルシファーのサーガはこれで終わりじゃない。まず最初に僕の話からしようかな。ルシファーと別れた後の僕の事。

 僕はあの後、僕ひとりで旅を続けた。理由は特になかったよ。強いて言うなら、あの山にはもう戻る気にもなれなかったし、ここでやめたら何に対してかよく分からないけど負けのような気がしたから。まあ、そんな風に旅を続けてたら、いろんな連中にいろんな事を言われたね。僕を励ますような言葉もあったし、僕やルシファーを侮辱するような発言も。僕にとって気に食わない奴らを片っぱしから痛めつけてたら、いつの間にか僕は更に成長していた。うん、そんな事を◯◯◯年も続けてたし。今、カンシーネイスとウィニーテウにちょっと力を込めてもらったけど、文章ではちゃんと伏せ字になってるかな?

 

 さっきから演技演技言ってるけど、僕の話は最初からちょっとそれを入れてた。いや、ルシファーの事は全部事実だよ。だけど、僕の自己紹介に嘘を混ぜたし、自己紹介以外のところにも混ざってるし、僕の毒も混ぜた。いや、本当にこの文章、まあ、僕にとっては録音なんだけど、それはどうでもよくて、本当に閉じないでね。君に毒を植えつけたいとか、殺したいとか思ってるんじゃないんだよ。

 ここを読んでるって事は、まだタブもブラウザも閉じてないって事だよね? あるいは、ちょっと休憩してきたかな? まあ、どっちでもいいっていうか、僕がどうこうできる事じゃないしね。じゃあ、本当の自己紹介をするよ。

 

 俺の名前はキヴィアーヴィ。そこは嘘じゃない。だけどね、俺はもう「毒針のキヴィアーヴィ」って呼ばれてないんだよ。それは俺がルシファーと一緒に旅をしていたミドルだった頃で、あれから俺はワーヴと同じようにエイペックスになったんだよ。つまり、この話を語ってる俺はエイペックスの「誑かすキヴィアーヴィ」って事。

 カンシーネイスに教えてもらったけど、「誑かす」っていい漢字だよね。うん、「狂った言葉」、俺にぴったりだ。ああ、そうそう、俺はこれを君に見てもらう為、君の言葉で言う「日本語」が分かる魔法を使えるようになったんだよ。まあ、それだけじゃこの文章の目的に足りなくて、「見届ける者カンシーネイス」が直々に力を貸してくれてるし、コンピュータネットワークを司るエイペックスの「極彩色のウィニーテウ」も隣にいる。

 ちょっと話が逸れたね。エイペックスになった俺には毒針と目に見える毒がなくなって、「言葉や考えの毒」を手に入れた。「毒針のキヴィアーヴィ」の毒が毒針から出る液体に宿っていたように、今の俺の毒は言葉や思考、あるいは情報そのものに宿ってるんだよ。これは君が使うスラングでは、「ミーム汚染」って言うらしいね。俺の言葉や、俺の言葉を記した文字を読むと、俺の毒が入り込むんだよ。しかも、その毒は昔より更に俺の好きに調節できる。それこそ、聞いたり読んだりするだけで命を奪うミーム汚染まで引き起こせるけど、ちょっと待って、本当に死んだりしないから閉じないで、この文章は「記憶を呼び起こす」為のものなんだよ。

 

 そう、俺の毒を君に気づかれずに仕込む為に、少しだけ嘘を混ぜた。君がこれを単なるネット小説だって思ってくれるように。だってそうでもしないと、君はこれをコピーアンドペーストの文章とか、コンピュータウィルスだと思ったでしょ?

 俺としても、俺が普段使ってる言葉の中にそっちの世界の言葉を混ぜるのは少しチグハグに思ってたよ。カンシーネイスはずっと笑いっぱなしで、地面に爪でわざわざ「いいセンスだ」って書いてた。本当に笑いすぎだね。俺は結構本気なのに。

 この文章の見かけの上での作者は「四葉静流」って言うんだけど、それ自体もなんの意味も持たない、ただの偽装工作の一環だよ。本当の作者は俺だ。

 

 思い出してきたかな?

 自分が何者だったかを。

 

 ここまで読んできて、君には何かの違和感があったんじゃない?

 

 待たせたね。

 ここからが最後の答え合わせだよ。

 

 ルシファーと、いや、君と別れた俺なんだけど、そっちでは何年経ったか分からないけど、こっちの世界では人間の考え方で言うとかなりの年月が経ったんだよ。化石燃料のエネルギー革命を通り越して、戦争が最適化と効率化でパッケージングされた経済商品になった時代を俺と仲間たちで潰した後くらいには。俺は、人間が人間になる前から生きてるけど、そういう時代よりやっぱり君と一緒にいた数年が一番面白かったね。

 で、そろそろ俺だって君が気になってきた。君は全てを忘れて生きてるだろうけど、俺はまだまだ忘れられない。だから、カンシーネイスとウィニーテウの力を借りて、俺の毒で君の記憶を呼び覚ましたっていうわけ。ワーヴの話だと、記憶は消えやすいけど、「魂に刻まれた思い出」は転生くらいじゃ消えないらしいからね。ちょっと驚いた? 君の魂は、まだ俺の顔を覚えてるかな?

 

 今、「今更、なんでそんな事を?」って思った? それはカンシーネイスにも言われたよ。ウィニーテウはすぐに俺の気持ちを分かってくれたけどね。

 うん、まずは謝りたかったんだ。あの時に、勝手に転生させた事に。あの時の君の答えを知る事はもうできないけど、それでも謝らないと俺の気が済まなかった。うん、本当にごめん。結局最初から最後まで、俺の都合に君を巻き込んだ気がする。それが本当に良かったのか悪かったのか分からないけど、俺としては、やっぱり毒竜は俺ひとりで良かったんだと思う。

 ここまでの話を読んで、君はどう思う? まあ、君の答えを聞く手段が俺にはないんだけどね。ウィニーテウの力も、ワーヴと同じようにこっちの世界から飛ばすだけしかできないから。そっちの世界のネット回線に無理やり割り込む方法を教えてくれた、「存在しないはずの27次元目」を司る存在しないはずのエイペックスの「収斂進化のヌィーナ」にも。エイペックスが「目に見えないもの」を司るってどこで気づいた? まあ、ヌィーナはエイペックスでも竜でもないと思うけど。

 

 これで最後だから、話を戻して続けるよ。

 

 これを君が読んでくれるなら、君が今も生きている事の証明になる。それを俺が知らなくても、それでいいよ。元々、今の君の人生を俺が知る術はないんだから。

 今の君はどうしてるのかな? まあ、俺の事は覚えてなかったのは確かだけど、今でも俺は君を想っている。この、「天国の外側」から。やっぱり演技が抜けないね。これが俺の素なのかな?

 まあ、続けるよ。君が今も生きてるなら、「ビューティ・アンド・ビースト」、つまり「ハッピーエンドの代名詞」のようなありふれた「ハッピー・エバー・アフター」じゃなくても、俺はそれでもいいよ。いや、違うね。俺は今でも君を大切に思ってる。形が違うだけで、たぶんこれもハッピーエンドだ。

 それを知っていて欲しかっただけ。そして、この物語はこれを真実として語り継いでくれるオーディエンスを作る為でもあるよ。勝手な言い分だけど、君は今でも、いつでもひとりじゃないよ。

 

 君には今の君の生き方があるだろうから、無理に俺の事を考え続けなくていいよ。

 だから、本当はこっちの世界での君の名前は知ってたけど、わざわざ「ルシファー」なんていう仮の名前にしたんだ。もちろん、それも君への嘘の為だよ。俺の趣味じゃない。俺のセンスで君に名付けるなら、「ジョン」はどうかな?

 

 なんだろう。ここまで一気に喋ったけど、君には心の整理が追いつかないかもしれないね。わがままが強かったかな。今は理解できなくても、それでもいいよ。

 

 それから、こっちの世界での君は化け鶏の卵の目玉焼きが苦手だったけど、そっちではどうかな?

 

 その答えは、いつか聞きたいね。

 

 じゃあ、ふたりとも。最後にこの物語の本当のタイトルをお願い。

  

 

TRUTH: The Dragon Who Is Praying For You From The Outer Heaven