まだあげそめし前髪の

月庭一花

 名も知らぬ鳥の声で目が覚めた。

 枕に頭を押し付けたまま、ちらりと窓の方に目を向ける。ベランダの先で梢が揺れているので、どうやらそこに鳥がいるらしいのだけれど、姿は見えなかった。

 ふと朝の、そんな一日の始まりの、気怠い、言葉にはできない感情を共有したくて、半ば無意識に左手を伸ばしたが、しかし隣には誰も寝ていなくて、改めてベッドの上に起き上がり、周囲を見回した。夜々子さんはどうしたのだろう。どこに行ったのだろうか。

 部屋の中には誰もいない。トイレかな。

 生理現象なら仕方がないけれど。

 少しだけ、寂しいな、と思う。

 寂しいな、と小さく声に出してみる。

 寝乱れたルームウエアを整え、改めてベランダに出て、葉の生い茂った樹の枝先を見やった。そっと手を伸ばす。枝には届かない。小さな鳥が飛び立つ。でも、やっぱり鳥の種類はわからない。

 目を下に向けると、小さな砂浜が広がっている。

 三年前の巡回式遊園地の残していったメリーゴーランドが、灰色の砂に埋もれてみすぼらしくなっている。

 ビニールの屋根は破れてしまって、どの馬も白く汚れていた。かつて子どもたちを楽しませた栄光は、どこにも残っていない。壊れたものを遺棄して団員たちは去っていった。戻ってくるのかどうか、誰も知らない。

 ぼんやりと、命を失った木馬たちを見続けていた。もう、見慣れてしまった遺物のはずなのに。朝の光の中では、より一層、死のイメージが濃くなっている。

 ベランダで何をしているの。

 そう、声をかけられて、ちょっと拗ねていたので振り返らず、鳥、と答えた。

 鳥?

 あの樹の中で鳴いていたのよ。姿は見えなかったけれど。

 ……嘘。メリーゴーランドを見ていたの。

 夜々子さんが隣にきて、一緒に壊れた遊具を見下ろした。

 コーヒーの豆を挽いたわ。一緒に飲みましょう。もうすぐパンも焼けるわ。

 すぐに興味を失ったのか、やわらかな黒髪が朝の光の中で弧を描く。少し遅れて振り返りながらその背中を見送る。

 朝ごはんの当番。夜々子さんだったかしら。

 キッチンに入ると、香ばしい香りが漂っている。夜々子さんの手でゆっくりと挽かれた豆は、朝露に溶けてしまった夢の残り香に似ている。焼きあがったばかりのパンは、日向の猫のような匂いがする。

 朝刊がダイニングテーブルの隅に置かれている。すでに夜々子さんが読んだあとのようで、少し形が膨らんでいた。新聞のトップを飾っていたのは、いつものように新型感染症の感染者の数と、それからLGBTに関する新しい法案の動向について、だった。

 夜々子さんがコーヒーを淹れてくれているあいだに、その記事に目を通した。

 見出しにある通り、そして多分こうなるだろう、と思っていたことが書かれているだけなのに、だからこそ無性に腹立たしく、そして悲しかった。ずっとこの動向を見守ってきた。その結末がこれなのか。

 この国では、LGBTの「理解増進」の法案でさえ、通ることがないのか、と思った。

 記事によると、与党は法案の中の「差別はゆるされない」という文言が気にくわないのだという。

 つい先日も、MtFの人が女子トイレを使うことを「ばかげたこと」と切って捨てた女性が所属している党なのだから、期待するだけ馬鹿らしかったのかもしれないけれど。それでも考えてしまう。どうして性的なマイノリティーはここまでないがしろにされなければならないのか、存在を否定されなければならないのか。「差別は許されないと明記すれば、行き過ぎた運動や訴訟につながり、社会に混乱が生じるのではないか」ってどいうことなのだろう。……朝から頭が痛くなる。この発言をした人は、本当に政治家なのだろうか。

 ゲイやレズビアンを指して子どもを作らないから「生産性がない」と言った人。性的少数者ばかりになったら国は潰れると言った人。そして生物学上、種の保存に背くと言った人。みんな与党の『議員』だ。

 でも、多かれ少なかれ皆、同じようなものかもしれない。自分たちに関係がない、と思えば、こんなものなのかもしれない。

 ため息をつくと同時に、かちゃ、と瀬戸の触れ合う小さな音がして、ソーサーに乗せられたティーカップが目の前に置かれた。たゆたう黒い液体が、白いカップの中から薄く、湯気を立ちのぼらせている。

 そして。

 六枚切りのイングリッシュブレッドが一枚ずつ。マーマレードのジャム。レタスオンリーのハネムーンサラダに、アルペンザルツのハーブソルト。

 眉間にしわが寄っているわ。

 夜々子さんが自分のおでこを指差して、苦笑してみせた。

 少し笑みを返しながら、ねえ、と訊ねた。

 夜々子さんも今日はお休みでしょう? どこかに出かけない?

 夜々子さんが対面の席に座り、両手で自分のカップを持ち上げた。逡巡しているのは、すぐに見て取れた。

 新型感染症が蔓延して、どこにいっても窮屈な思いをするようになった。外で食事を摂るのも一苦労で、お酒なんてもってのほか。もう、遠出なんて長いあいだしていない。

 返事を待ちながら。

 黒く、苦い液体を嚥下しながら。

 先ほど読んだばかりの記事を反芻する。

 この人と結婚できる日は、いつか来るのだろうか、と思う。同性の恋人を持つことだって当たり前だと言える世界が、いつか来るのだろうか、と思う。

 一花はどこに行きたいのかしら?

 夜々子さんと一緒なら、どこでも。

 そういう答えが一番困るわ。夜々子さんは小さく笑って、少し困った顔をした。

 目的のあるどこか、ではなく。ここではない、どこかに。

 閉じ込められて、隔絶されて、同性同士で結婚できる「どこか」に行くことができない。たどり着けない。それが苦しい。息苦しくてたまらない。

 もしも夜々子さんが今日、新型感染症に罹ってしまったら。

 重症化して、入院することになってしまったら。

 どうしたらいいのだろう。何もしてあげられなくなる。他人だから。赤の他人のままだから。

 夜々子さんと一緒になりたい。家族になりたい。

 そう願うことは、間違っているのだろうか。間違いなのだろうか。

 もしかしたらこの新しい感染症は、世界の閉塞感が具現したものなのかもしれないと、ふとそんなことを思う。思ってしまう。人と人とが交わることができなくなって、場の空気を読むことが全てとなって、誤解と差別が蔓延し、世界が淀んでいく。腐っていく。

 新しいコーヒー、美味しい。

 よかった。前のより少し深煎りなの。一花、ちょっと苦いほうが好きでしょう?

 パンにマーマレードを塗る。

 一口齧る。

 夜々子さんが淹れてくれるものならなんでも美味しく感じるわ、と言うと、夜々子さんがそっと、唇に人差し指を押し当ててきた。

 その場しのぎの言葉。嘘じゃないけれど本心でもない。一花の悪いところ。

 ……まあ、塞ぎたくなる気持ちも、わからなくはないけれど、ね。

 夜々子さんは自分のカップをソーサーに戻し、新聞を手にした。そのまま立ち上がると、ラックの中にぱさりと放り込んでしまった。そして静かに、朝の食事を続けた。

 日の光がテーブルの上に射していた。

 夜々子さんの座っている席とのあいだを斜めに区切るように、光の線が引かれている。小さな沈黙が澱となって、その上に降り積もっていく。それを払拭したかったわけではないけれど、リモコンを手に取り、テレビの電源をつけた。

 流れているのは新型感染症のことばかり。

 適当にザッピングしていると、ニュースとバラエティーがごちゃまぜになったような番組が流れていた。その番組だけが駄目になりかけているLGBT関連法案のことを取り扱っていた。

 夜々子さんがちらりと視線を上げた。観てもいい、と訊ねると、いいよ、と答えた。一緒にその番組を観た。

 でも、彼らは何を話しているのだろう。笑い声と討論が絡み合って、もつれあって、何をしゃべっているのかよくわからない。

 かたり。小さな音がした。

 夜々子さんが画面をじっと見つめている。彼女のサラダボウルがいつの間にか空いている。唇の端に、マーマレードが薄く光っている。

 画面の中では、最近女性誌でも見かけるとても綺麗なMtFの子が、法案についてのコメントをしているところ。

 澄んだ声。

 完璧なお化粧。

 艶やかなストレートの黒髪。

 淡い色合いのジャケットと同色のスカートのコーディネートも素敵。

 それに何より、おでこの形が真珠のようにつるりとしていて、美しかった。

 本当に、どこからどう見ても女の子にしか見えない。ううん、女の子以上に女の子に見える。もっとも、それだけでトランスジェンダーの人を判断してはいけないってことも、十分わかっているのだけれど。でも。

 この子が生まれついた性別のせいで女子トイレに入れないなんて、どうかしているとしか思えない。

 セクシャルマイノリティーの中でも、トランスの人は自分たちとは少し違うと考えてしまうことがある。関係のない人たちだと思ってしまうことがある。

 ゲイやビアンの人から、パンセクシャルやアセクシャルを正しく理解してもらえないことがある。

 同じマイノリティーの中でもそういうことは度々起こる。そういう自分だって、認識していないだけで差別してしまっていることがあるかもしれない。理解してあげられないこともあるかもしれない。けれど、性自認と性的指向は誰もが持つもの。自分の性自認がわからない、性的指向を持たない、という場合も含めて差別の対象とされてはならないもの。わたし自身がそうなのだけれど、パンセクシャルもアセクシャルも否定されたり非難されたりするべきものじゃない。トランスジェンダーの存在だって「ばかげたこと」だなんて言っていいはずがない。全ては人の尊厳の根幹に関わることなのに。ただ、幸せに暮らしたいだけなのに。どうしてそんな単純なことがわからないの? わたしたちを否定して、拒絶して、差別して、それで残るものは何?

 画面の中の彼女が、そう切々と訴えていた。

 胸が熱くなる。

 彼女の言葉だけが胸の奥まで届いて、ことり、と小さな音を立てる。

 わたしね、と夜々子さんが言う。

 夜々子さんはじっと画面を見つめている。

 手を伸ばして、唇の端のマーマレードを拭うと、夜々子さんは少し驚いた顔をして、慌ててこちらを振り返り、朱鷺色に頬を染めた。彼女の名残を舌先で舐め取ると、苦い、恋の味がした。

 わたし、あの子の姉だったことがあるのよ。

 夜々子さんが小さく咳払いをしたあと、慈しむような目で再び画面の中の彼女を見た。

 その視線に少しだけ、嫉妬する。

 姉。……姉? 姉妹だったということ?

 それは、どういう意味?

 でも訊けない。無言でパンを一口齧る。

 やっぱりマーマレードはほろ苦くて、胸の辺りが切なくなる。

 森の中の、寄宿舎学校で。

 夜々子さんは言う。

 わたしはあの子の、姉だったの。

 

 メリーゴーランドは潮風に吹かれ、からからに乾いていた。塗装の剥げた木馬の表面には細かな亀裂が走り、金具は全て錆び付いている。

 ビニールの天幕に指で触れると、ほろほろと粉のように崩れた。

 火をつけたら一瞬で燃え尽きてしまいそうね。

 移動式遊園地の忘れ物。夢の遺骸。

 ……さざ波の音が聞こえる。

 小さな砂浜をあとにして、森の中に足を踏み入れる。獣道を踏破しながら幾日幾夜を進むと、かつては寄宿舎学校だった、その成れの果てへとたどり着く。

 ヤグルマギクの青い花が一面に咲いている、美しい廃墟に。

 歩き続けながら、同性愛者には生物学的な存在価値がない。そう言い切った政治家の言葉を胸の内で反芻していた。

 生物学、と一口に言ってもその分野は様々だ。分子生物学的根拠なのか、それとも社会生物学的根拠なのか。非ユークリッド幾何学(例えば球面状に描かれた三角形の内角合計が180度を超えてしまうこと)が理解できず、算数的にそんなのは間違っているよ、と言うのと同じで、生物学的に間違っているというその政治家の言説は、ひどく無知で蒙昧で頭の悪い発言だな、と思う。

 だから一つ、生物学的な反論をしたいと思う。

 生物としての人間には、他の動物とは明らかに異なる部分がある。

 他のどの動物も、雌は生理が終われば寿命を終えるようにできている。これは遺伝子に数パーセントの差異しかないチンパンジーも同様で、雌は寿命を終えるまで生殖が可能なのだ。

 なら、どうして人間にだけこれだけ永い余生があるのだろう。ジョージ・クリストファー・ウィリアムズはこの疑問に対して、『おばあちゃん仮説』というものを唱えた。死の危険性を伴う自分の出産を早くに脱し、社会や文化の伝播を担う。また別の子育てのサポートを行う。人間の子どもはとても未熟で、文化の伝承には膨大な時間と莫大な労力が必要で、女性の余生の長さは今いる子どもたちの生存率を高めることになったのかもしれない。また、文化の継承の役割を担うことで閉経後の女性は集団的適応度を高めたのかもしれない、というのがその仮説のあらましだ。

 この学説を逆手にとって生殖能力を失った女性には生きる価値がない、と言った都知事がいたけれど。無知って恐ろしい。

 この説はまだまだ仮説の域を出ていないが、もしかしたら同性愛者の存在意義の、証左にだってなるかもしれない。生殖能力を失ってなお存在意義のある人という種であるならば、子を残すことのできないとされる同性愛者にも、社会生物学的な意味が生まれる。文化の伝承。多様な社会の創造。それに同性愛者のカップルにはまだ里親が認められていないけれど、いずれは他人の子どもを育てることだってできるようになるかもしれない。自分の遺伝子を残す手段だって確立するかもしれない。海外ではすでに、一部は行われていることなのだから。

 そもそも自然界において、同性でカップルを作る動物は珍しくない。すみだ水族館のペンギンが、雄同士でカップリングした例だってある。

 ならば改めて問う。

 その水族館のペンギンは、生物学的に間違っているから処分しなければならないのだろうか。

 すべての生殖能力のない人間は価値がない、と切り捨ててしまえばいいのだろうか。

 多くの人がこの質問にはノー、と答えるだろう。極端な優生学的思考は、現代ではタブーとなっている。

 ならば同性愛者だけを排斥するのがいかにおかしなことなのか、というのも自明なことだと思えるのだけれど。

 そもそも同性カップルが子どもを持つことに否定的なくせに、片親が……特に女性の片親が子育てしていくことにも冷たいくせに。何を子ども庁の設立とか言っているのだろう。政治家は種の保存なんてことを言いつつも、本気で理解しようとしているわけではなく、正しく認識しているわけでもない。自分の中の、こうあるべき、という家族像を壊されるのが嫌なだけなのだ。

 崩れ落ちた礼拝堂の前を通り、寄宿舎に向かう。かつてカトリック系のミッションスクールだったせいか、苔むした聖人の像があちらこちらに見えた。

 同性愛者の存在意義についてはたぶんそうなのでしょうね。

 でも、トランスジェンダーの人についても同じことは言えるのかしら。

 夜々子さんが問いかける。

 ヤグルマギクの可憐な花が、さやさやと風に揺れている。

 踏み分けると青い匂いが立つ。

 トランスジェンダーの存在意義。この世に生まれ落ちた意味。たとえば今はもう、社会的な男女差は少なくなってきている。賃金格差や差別は相変わらずあるけれど、政治家や会社の上役に女性は少ないけれど、建前上はそうなっている。夫が家事をし、妻が働きに出る家庭だって多くはないけれど、少なくもない。でも、それをして社会的な性の逆転とは言わない。それに。

 夜々子さんの発言がテレビに出ていたあの綺麗な子……咲洲青のことを念頭に置いているのだろうな、と思うと言葉が喉の奥で詰まってしまう。花を踏み分ける音だけが、静かに響いた。

 同性愛者にはまだ寛容であっても、トランスジェンダーに寛容だとは言い難いこの国で、マイノリティー同士団結しなければならないことは、理解しているつもりだった。

 トランスジェンダーがこの国で自身の性を獲得するためには、性的な能力を捨て去らねばならい。それはある意味、ジェノサイドだとは言えないだろうか。虐殺とは呼べないだろうか。

 そんなものに加担するわけにはいかない。

 学園の、古びた回廊式の中庭はすでに禁足地となっていて、顔のないアイレンたちが手と手を取り合い、輪になって踊っていた。

 くすくすと笑っている彼女たちに見つからないように、そっとその場を離れる。

 そもそも存在意義なんて考える必要はあるのかしら。

 わたしたちは、彼らは、彼女たちは、最初からそこにいるのだもの。ここにいるのだもの。

 でも、寄る辺は必要だと思うわ。団結する必要があるのだと思うわ。

 自身のアイデンティティーのために?

 わたしたちが戦う、よすがのために。

 夜々子さんがやわらかな笑みを浮かべた。

 一花は誰と戦っているの。敵と思った瞬間にわたしたちは別れてしまうわ。同じものではなくなってしまうわ。

 同じもの。同じ……もの。

 木造の寄宿舎に入る。人の住まなくなった建物の匂いがする。廊下にわだかまっていた冷たい空気がゆるゆると動いて頬を撫でた。割れた窓から射し込む光。舞う埃の粒子。床板が軋む音。

 性同一性障害はWHOによって精神障害から除外された。「国際疾病分類」が改定され、「病気」や「障害」ではない、とされた。

 でも、最初からわかっていたことだったのかもしれない。自分が何者なのかという命題は、自分自身にしか答えようがなく、自分は誰を愛するのか、愛さないのか、自分が誰なのか、誰でもないのか、その答えを知っているのは、自分だけなのだから。

 わたしがあなたを愛するように、あなたがわたしを愛するように。

 夜々子さんの声を聞きながら、朽ちた階段を登っていく。

 この学園ではね、一年生と二年生が共棲みするの。三年生は一人部屋。一年生は共棲みの二年生を姉と呼び、二年生は共棲みの一年生を妹と呼ぶ。

 長い螺旋階段を上がっていくと天井が崩れている。藤の蔦がそこから入り込み、窓枠に絡みついていた。春先にはとても綺麗な紫の花が咲くのよ、と夜々子さんの背中が言った。

 夜々子さんは……咲洲青のことが好きだったの?

 あの子は誰も好きにならないわ。

 ……テレビで自身のことを、確かアセクシャルだと言っていたような気がするけれど、よく覚えていない。質問とは噛み合わない夜々子さんの答えを聞きながら、最上階にたどり着いたことを知る。

 天井から薄日が射している。

 どうして咲洲青は女子の寄宿舎学校に入学できたの?

 さあ、どうしてかしら。

 ちょうどあの頃、女子大に入学したトランスジェンダーのことが話題になっていた。そのことが関係していたのかもしれない。していないのかもしれない。わからない。

 どうしてこの学園は……廃墟になってしまったの?

 夜々子さんは振り返り、みんな死んでしまったからよ、と言った。

 かつて使っていたという部屋に入ると、割れた窓からここにも藤の蔦が入り込んでいた。緑の葉が西からの風にゆらゆらと揺れている。

 朽ちたベッドには二人分の骨が並んでいた。ひとりは夜々子さんで、もうひとりが咲洲青だという。行儀よく、胸の上で手を組み合わせた格好で。その空っぽの胸郭を、そっと守るように。静かに眠っている。風雨にさらされた骨は白く洗われて、まるで砂糖菓子のようだった。

 美しいから正しいのではない。

 その反対に、正しいから美しいのでもない。

 骨。だからかもしれないが、ふたりの面差しは、とてもよく似ている。

 

 次の日から、夜々子さんは新聞を取るのをやめてしまった。テレビも見なくなった。

 世界から……社会から、情報から隔絶されてしまうと、随分と心穏やかになった。あれほど心の中で渦巻いていたもやもやは、朝露みたいにどこかへ消えてしまった。無理解な政治家の発言も、新しい感染症のことも、東京のオリンピックがどうなったのかさえ、関心の埒外だった。

 ただひとつの栄養を咀嚼し、自分たちで糸を吐き、玉繭の中で寄り添う。白い二頭の蚕のように。

 あの日からずっと、ふたりで廃墟に住み続けている。ぼんやりと四季の移ろいを見つめ続けている。

 回廊に住まう顔のないアイレンたちは、相も変わらず手と手を取り合って、輪になって踊っている。くすくすと笑いながら、永遠に。……永遠に。

 

 メリーゴーランドにふたりで火を着けると、あっという間に燃え上がった。

 わたしたちも顔を無くしてしまったのかしら。

 わたしたちは顔を無くしてしまったのかしら。

 わたしたちの顔を無くしてしまったのかしら。

 夜々子さんは何も答えず、焔を見上げながら、ただ、くすくすと笑っていた。