パンが無ければ

りぃた

真上に広がる、塗ったみたいに青い空。

下手くそな音響みたいにうるさい蝉の声。

アニメみたいな情景の中、ドラマみたいに暑そうな顔を引っ提げて、地獄みたいにじりじりと焼けるようなアスファルトの道から逃げるように、アタシ達は喫茶店のドアベルを鳴らした。

すぐに店員が来て、人数を訊かれる。

2人ですと指と声で同時に店員に伝え、そのまま店内に案内される。

席に座ると、少し遠くに設置されている冷房の風が、火照っていた体をひんやりと撫で冷やした。

美しく装丁された薄いメニューを手に取って、ざっと一通り目を通して、目の前に座る親友に一応確認をとる。

「これやんな?」

メニューを見せられた親友─モモコはそれを確認してからすぐに

「そうそれ、っていうかこれが目的で来たんやろ!」

と笑った。

じゃあ頼むで、と声にだけ出してテーブルの端に置かれたベルを鳴らす。すぐに出てきてくれた店員に注文を伝え、その後去っていく背中を見送る。

前に会ってから1ヶ月は経っているとか、そんな感じは全くしないだとかいう話題でも、コイツとしているとテンポが良くて話が転がるように進む。「関西人が2人いると漫才が始まる」ってこういう事かもしれない。

そんなこんなで話していたら、料理が運ばれてくるまでの時間は案外すぐだった。やってきた料理を見て、モモコはSNS用にと写真を撮る。

「いいねもそんなに来んやろ?」

と聞けば

「匂わせしとけばもしかしたらウチに気のある誰かが動き出すかもしれんやろ?」と返される。

素敵なほどに夢見がちな台詞を横目にこちらに見せられた画面を見れば、なるほどたしかに私の分のお皿も写真に写っていて、誰かと食事をしているのは明確だった。とりあえず、「匂わせって、相手アタシやろ」とだけツッコミを入れておく。目の前のロマンチストはそれを聞いて、「あ〜、ホンマの彼氏おればなぁ〜」とつぶやいた。知らんがな、と返事してサラダを口に運ぶ。美味しい。

シャキシャキした食感の野菜と丁度いい酸味の効いたドレッシングに舌鼓を打っていると、机の向こう側からは「反応うっすいなぁ」と不服そうな声がする。

「そなに恋したいん?」と聞けば、

「しゃーないやろ、うちには恋が必要やねん」との返事。

妙にキリッとした顔で言われたので、こっちもちょっと対抗してカッコつけ、「ローマ人みたいやな」と返してみる。

案の定「何それ」と聞かれるので

「パンと娯楽」と返す。

モモコは、あ〜。と納得の声を漏らしたかと思うとすぐに「…いや、どっちかって言うとパンの方やな」なんてパンを持ち上げつつ言ってはそのまま持ち上げたパンをちぎって口に運んだ。

それに倣うように私もパンを食べる。生地の中に練り込まれた木の実の食感がなんとなく楽しい。沈黙が気まずくないのも親友ならではだな、なんて思いながらそのまましばらく黙々と料理を頬張る。

するとおもむろにモモコが口を開いた。

「やっぱさ、ええ人おらへんの?」

キラキラと期待に満ちた目。…正直、恋に憧れる乙女と言うよりは噂話を楽しむおばちゃんのそれに近いな…と思いつつ一応黙って聞く。

「前に言うたやろ、アタシのセクシャリティ。」と軽く返せば

「あぁ、そういや聞いたわ。恋せんねやんな」と返ってくる。

何か続きがあるのだろうと頷くだけにしていたのに、モモコは何も言ってこない。見ると、いつもの笑顔が少し曇っていた。

重くなりそうな空気をかき回すように料理を口に運び、いつも通りになるようにと軽めの口調でどうしたのかと尋ねる。

モモコは少し黙っていたがやがて一瞬覚悟を決めたような目をしてから、こっそり悪いことでもするみたいに

「やっぱりさ、恋せんのって楽しないんちゃう?」と言った。

「なんでよ」

「いや、だってさ、やっぱ皆恋してるやん。寂しないの?色んなこと悩んだりしてんのちゃうん…?」

「いいや?」

人によっては無神経と思うかもしれないほど軽い言い方。

だけどこう言うより他に無かった。

そしてそれと同時に、緊張の糸がぷつりと切れたらしく、普段ツッコミを入れる時と同じような、あたたかい呆れのような感情が津波のように押し寄せてきた。

アタシの返事が予想外だったのか、ぽかんとしているモモコに言う。

「あほ。当事者やからって悩まないかんわけちゃうがな!そんなんフィクションの中のことやって自分が一番分かってんのとちゃう?」

そう言ってやれば、「そんなん、ウチ当事者ちゃうんやからわかる訳ないやろ」とちょっと目を背けて言われた。

モモコには悪いけど、そんな拗ねた言い方がなんだかおかしく思えて、我ながら性格悪いなとか思いながら、でもにやっと笑って

「アンタ恋愛感情あるけどドラマみたいな恋愛したこと無いやろ?」

と聞いた。

図星を突かれたモモコはさっきまでのしおれた態度が嘘のように顔を上げてこちらに文句を言ってくる。そしてその勢いのまま元気になったらしく、残りの料理をパクパクと食べ始めた。

最後の1口を飲み込んで、キレるみたいな言い方て「美味しかった!!!」なんて言うモモコを見てまた笑いが込み上げてきた。

げらげら笑うアタシにはじめは拗ねていたモモコもおかしくなってきたようで、2人で笑っていると、料理を食べ終えたと察したらしく、店員がデザートのケーキを持ってきて、そのまま食べ終えた食器を下げていった。

「『本日のデザート』、ケーキやったんやな」と写真を撮りつつ言うモモコに言う。「そういや、今さっきの寂しないんかって話やけどな、こういう事やで」先に自分のケーキを1口切り分けてモモコの皿に置いてから、そのままモモコの方のケーキを同じくらいもらう。

「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」

そう言って、フォークに刺さった甘いケーキを頬張る。

それをぼうっとした目で見ていたモモコはすぐにハッとした顔になって、「ケーキ関係ないやろ!」なんて文句を言う。

アタシはそれを見て、「残念、関係ありますぅ〜」なんて言いながら、アセクシャルのコミュニティやら、そこで生まれた「ケーキを分ける」という言い回しの事やらを教えてやる。「これ、分けたって言うより奪ってるやろ!」

「何言うてんねん。ちゃんと自分の分分けてるやろ、ほら」

「あ、…えーと、こっちの方が小さいやろ!」

「変わらへんわ!」

「ちゅーか、そのパンが無ければ…ってやつはほんまは言うてへんらしで!」

「せやけど、今言うたんはホンマやわ」

我儘で世間知らずの王女の言葉ではない、アセクシャルの人間の、

…いや、一人の人間、アタシの生き方。

恋愛感情がないのなら、それ以外の楽しさを味わっていればいいじゃない。アタシのような人達が処刑される─マイノリティが排除される時代は、もう終わる。