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執筆者の写真川瀬みちる

セクシュアリティってどんなもの?

更新日:2021年5月29日

こんばんは。ノーサイレンス運営の川瀬みちるです。


少し前ですが、職場の上司に「LGBTの人って会ったことないんだよねぇ」とか言われたので、「わたし、Bですよ~」とカジュアルカミングアウトしてきました!

「ランチはそういう深い話をする場じゃないだろ」と軽く怒られましたが……。


いわゆる世間一般ではまだまだそんな感覚なのかぁとちょっとしょんぼりしたのですが、今回はセクシュアリティってどういうものだろう?ということについて自分の経験からつれづれなるままに考えていきたいと思います。

とりわけ自分のセクシュアリティが周縁的/境界的でもやもやしている人たちに読んでいただけたら嬉しいです


セクシュアリティは流動する


実はわたしは長い間自分のことをヘテロセクシュアルだと思っていました。

バイセクシュアルだと気が付いたのは24歳ごろでした。

正直セクシュアリティに「気づいた」のか、セクシュアリティが「変化した」のかは分かりません。


あまりにもそれは突然でした。 それまで、自分がまさか同性の親友に性的な恋愛感情を向けることになるとは思ってもみなかったからです。

たしかに振り返ってみれば、子どもの頃から女性の性的な姿態に対して関心を持ってはいました。

とはいえ、それは社会において女性があまりにも性的に表象されているからだと思っていたのです。

しかし、その親友への感情は目の前にあり、けっして否定できるものではありませんでした。


セクシュアリティは自分で決めるもの


当時、びっくりしたわたしは当然ながらセクシャルマイノリティの友人達に相談しました。

しかし、返って来た言葉が意外にも冷淡なものでした。

「(本当にバイセクシュアルかどうか)試してみれば?」とからかい半分で言う友人もいれば、

「川瀬さんはやっぱりヘテロセクシュアルだよ」と決めつけてくる友人もいました。


しばらくわたしはひとりで悩みました。

親友に告白して結果的に絶交してしまったりもしましたし、「試して」みるためにレズビアン風俗に行ってみたりもしました。

同性に恋愛感情を持ち、同性とセックスしても、なお自分がバイセクシュアルというに足るのか確信が持てませんでした。


でも、いまではわたしは「バイセクシュアルです」と胸を張って言えます。

なぜなら、わたし自身がわたしをバイセクシュアルだと決めたからです。

「セクシュアリティを試すなんてふざけるな」と今ならそう言い返すでしょう。

ヘテロセクシュアルに関しては異性と恋愛やセックスをしたことがなくてもそう認めるのに、それ以外のセクシュアリティは「試せ」というのはおかしな話です。 わたし以外にわたしのセクシュアリティがわかる人間などいません。

わたしのセクシュアリティは、わたしが決めます。


ちなみに今ではわたしは異性のパートナーがいますが、それでもこの自己決定を覆すつもりはありません。

異性のパートナーがいようが、同性のパートナーがいようが、バイセクシュアルはバイセクシュアルです。

(もちろん異性のパートナーがいるという点ではマジョリティだということは重々わかっていますが、それでも誰もがマジョリティ性とマイノリティ性を兼ね備えているものです)


これまでLGBTQ運動は、セクシュアリティは生得的なもので選ぶことができないものだと主張してきた歴史があります。 その背景には、保守派による「自ら不道徳を選んでいる」というセクシュアルマイノリティに対する非難に反論する必要性があったと思われます。

しかし、保守派が何と言おうが、そもそも不道徳でも何でもないのだから、流動的であろうと選択しようと(もちろん選択しないことだって)自由なはずです。


セクシュアリティは偏在する


ヘテロセクシュアルだったとき、自分にセクシュアリティがあるとは気づいていませんでした。

それはあまりにも透明で当たり前でした。

でも、それは自分がマジョリティだったからです。


シスジェンダーヘテロセクシュアルであっても、それはひとつのセクシュアリティです。

それだけではなく、セクシュアリティには、性的に惹かれる性の対象・性自認・他者に性的に惹かれる度合いなど以外の差異も含まれます。

人々のセクシュアリティにはたとえば以下のような差異もあるといわれています(セジウィック『クローゼットの認識論』ではこういった差異の種類が合計13個も挙げられています)。

・同一の性器的行為でさえも、人によって異なる意味を持つ
・ある人にとってセクシュアリティは……アイデンティティ認識にとって大きな部分を占めるが、他の人にとってはそれほど大きくない
・ある人はセックスのことを考えるのに多くの時間を費やし、他の人はほとんど考えない

人々のセクシュアリティは多くの点で様々な差異を持っており、単なる多数派というセクシュアリティは存在しないのです。

そういう考えからすると、冒頭に記した上司の発言はちょっと的外れな部分があるということがわかります。

ことセクシュアリティという点に関しては、誰もが当事者なのです


さいごに


セクシュアリティについて、自分の遍歴も含めて思いつくままに書いてみました。

セクシュアリティというテーマについては、もっと語るべきこともあるかとは思いますが、わたしの経験から語れることは大体こんな感じです。

もちろんこれが100%正しいというものではなく、ひとりひとり自分なりのセクシュアリティについての考え方を深めていくことが大事なのかなと思いますが、少しでもそのためのヒントになったなら良いなと思います。


それでは、また!











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