ノーサイレンス
セクマイWebアンソロジー
性別を超えて恋愛をしてるのって異性愛者の方だと思いませんか
――あるオンナのLGBTQIスタディズの記録
西山香葉子
性別を超えて恋愛をしてるのって異性愛者の方だと思わない?
ということに気付いたと同時にあたしは、自分はどんなひとと恋愛をしたら幸せなのだろうかと考えるに至った。
この頃あたしは35歳。
名前は真樹という。
一応、女性。
思えば、シンデレラ・ストーリーに興味が薄く、その種の願望もない子どもだった。中学生まで結婚願望もなかった。
中学の時の初恋の人は女子の先輩で、プラス、母親が40代の頃にちょいちょい新宿2丁目で飲んでいて、妻子持ちで2丁目に店を出して経営しているひとと知り合いになり、そこでの飲み会に混ぜられて会ったことがある、
母親は女の子らしくなってほしかったようだけど、弟とふたり姉弟、性別で差別されないで成長したような気がする。大学に行けたし。
セクシャリティについては、中学時代の女子の先輩の淡い片思いの後、その先輩と共通項のある同じクラスの男の子に恋をしてからはずっと男性ばかり好きになるので、セクシャルマイノリティとは遠い存在だった。でも時々、自分を異性愛者と言い切れない自分がいた。
男ってこんなもん、女ってこんなもん、みたいな決めつけはしなかった記憶。
ところで、冒頭の1行で書いたことに気付いたきっかけは、1足のキティちゃんの健康サンダルだった。
キティちゃん、有名なキャラクター。
これを履いて、当時は歩いて行けた心療内科に行ったら、後で聞いた話では、その日出勤した看護師たちの間で「誰が履いてきたんだろう」「可愛い」と話題だったのだそうである。
このサンダルの写真を、当時付き合っていた年上の男の人に送ったところ、「キティちゃんなんて、子どもじゃないんだから」とメールが来たので、「これ健康サンダルだよ」と返したら、「まだ35歳なのに健康サンダルなんて」と矛盾してることを言われ、その2日後に振られてしまったので、落ち込んだ状態でその事実を、後の診察でカウンセリングしてくれた看護師さんに言った。
そしたらその看護師さん。
看護師たちの間で話題だったと話した後で、
「そんなの性別の違いのせいですよお! 気にしない気にしない!」
と笑い飛ばしてくれて、そういうもんなのか、と思ったと同時に「ダブスタ言ってんじゃねえよ」とも思った。
そこで気付いたのだ。本当に性別の壁を超えて恋愛をしているのは異性愛者の方ではないかと。
よく、同性愛のことを、性別を超えて恋愛してるって語る記述、なかった?
同性愛者の前には、「同性愛を差別する社会」があって、乗り越えていたのはその「差別」だったのに。とは、当時のブログ仲間に言われたっけ。
その35歳だった年、あたしは、ブログでのもめごとが原因でセクシュアルマイノリティについて勉強してて、性同一性障害・トランスジェンダーという人たちの存在を知ったのである。
知ることによって、もやもやしていたものが晴れたところで、そういったひとたちとネットで交流を始めたところだった。SNSもはじめた。
どうもやもやしていたかというと、90年代からこっち、ゲイの男性と友達になりたがる女というのが結構いるそうだけど、あたしは、同性愛者って異性を必要としないものだと思い込んでいて、そんな人たちと友達になりたがるなんてバカじゃなかろかと思っていたのだ。
それをブログで表に出したら、その記事から1週間前にもめていた人間が寄ってきてあたしに対する誹謗中傷を書いていき、それに乗っかるバカも現れたけど(コメントを消したので細かい内容は忘れた)、これを交通整理してくれたひとも現れたのだ。
もとはあたしがそのひとの、異性愛者は自らをヘテロセクシャルと名乗って欲しい、ノーマルと言われたら同性愛者が異常なんじゃないかととらえてると考えれてしまうから、的な記事を読んでトラックバックして記事を書いたのがきっかけである。
あたしはこの頃百合小説を書き始めていて、その前は男女ものの小説を頻繁に書いていた上に男性に恋することが多かったので。この頃ヘテロという言葉を蛇蝎のように使う百合オタを頻繁に見かけて腹を立てていたから、そのあたりのことも原因で書いた記事で。
物語のジャンルは百合やBLと呼んでいいけど、実在するひとのセクシャリティはセクシャリティを示す用語で呼ぼう、という具合に落ち着いたわけで。
元記事を書いた、身体が男性で、恋愛対象も男で気持ちは今で言うノンバイナリーかな? というひとが交通整理をしてくれて、あたしはこれがとても嬉しく、このひとともっとやりとりするためにセクシャルマイノリティについて勉強しよう、と思ったのだ。
思って最初にやったことは近所の図書館に行って本を探すことで、ここで「性同一性障害はオモシロイ」という、おもしろいのは著者のキャラクターだろって内容の本に出会ってその著者さんの本を追いかけるわけだけど、それはまた別の話。大事なことなので重ねて言っておくがこの本、おもしろいのは性同一性障害ではない。
そのあたりで思い出したが、あたしは中学生の頃に女子の先輩を淡くだけど好きになったことがあって、プラス理由があってオスカル(ベルばらね)タイプにハマれないというのがあった、先に書いた、母親が40代の頃ちょいちょい新宿2丁目で飲んでいたというので、妻子持ちで2丁目に店を出して経営しているひとに会ったことがある、などの経験を理由に、その本1冊で、始めの方で書いた言葉にできない疑問がほどけていったのであった。
性自認というものがあって、それは、自分が自分の性別をどう思っているかで、多くの人はそれが身体と一致しているけど、稀に不一致なひとがいるのだ。自分の性別を男か女か決めたくない人もいる、というのも最近では取り上げられるようになってきたところだ(これをノンバイナリーと言ったはず、でもって最近の学会では性自認は使われてない言葉じゃなかったかな?)。
身体が男で男性を恋愛相手として欲するひとでも、性自認が男か女かで大きく違う。ただ、性自認が男でも女装する(女装して踊ったりする)人もいるので要注意。
といった、性の問題を深く掘り下げていくのは楽しかった。
やがてしばらくして、母親に(うちは母と弟と3人家族。父は離婚していない)、
「あたしが男の子に、弟が女の子に間違えられたことってある?」
とか、性別に関する質問をしてみた。
これには、母の答えはNOだったが、この頃弟が言った、
「男らしさを押し付けられると辛い」という言葉が印象に残っている、
よく考えたらあたしは、女性であることに違和感はないが、女らしいかというと疑問である。女らしさに自信はない。
この学習の過程で、LGBTやSOGIという言葉を知ったりしたが、この学習は、半年ほどしてとある少女漫画にハマってしまったために、横道でやることになる。でも、その後も様々な本を読んだり、SNSで出会った若い男の子たちが、昭和の男らしさとは違うものを持ってるななどの気づきも得ていった。
この頃、男脳女脳診断も何度かやった。通常時は55%対45%でけっこう競ってる(後者が男だ)けど、彼氏がいる時は女性度が64%なんてのが出る。
だんだん、恋人を表現するのに、「彼氏」という言葉をどこででも使わなくなったかもしれない。
その後恋した人は弟同様、男らしさから逃げたい? と思ってる人が続く。
あるSNS知人の場合は、SNSを見ていて、真剣にセクシュアリティがわからなかったのが、こちらの失言で同性愛者ではないと判明して、ジェンダーに関する質問を受けたり(女性やセクシャルマイノリティのひとって、普通に扱われたいの? 徳悦扱いされたいの?」という質問。
今お付き合いして概ねうまくいってるひともそうだ。ほぼ12年ぶりにできた恋人だ(アラフィフになりました)。
今の恋人は、「漢」を求められることに違和感があるそうだ。自分が男の身体であることに違和感があるのと少し違うようだけど、幼い頃は自分を女の子だと思ってたらしい→そのせいか女子力がある方面に高い。
この頃には、性別らしさを押し付けられることが嫌な人は恋人友人などにそれらを求めるのはやめた方がいいのでは、という発想になっていた。
その間に有名芸能人の行動に性的に面白いものが出てきたけど、本人がやりたいようにやればいいじゃない? という感覚で芸能ニュースを見ている。
ジェンダーの問題というのは、LGBTが絡まなくてもいろいろあるもので。
自分を男っぽいという女性ほど女っぽいような気がするのはなぜだろう、という疑問を弟が言っていたことがあった。
それに対し、あたしは自分の経験も絡めて言った。
「女らしさに自信がない、コンプレックスがあるからよ」
と。
実際、あたしたちのの母親などは、女らしくないと悩まない。そしてそういう人は家事などに長けており、性格などはいわゆる男っぽいところがある。
他にもっとサンプルが欲しいところだが、友人には濃かれ薄かれフェミニズムを介する奴らばかりなので、なんとも言い難い。
さて、今、お付き合いしている恋人がいる。
同じノリで頭悪い会話も頭良い会話もできていつまでも恋が醒めないようでとても幸せだが、彼は男という性別に違和感を持っているらしい。
これはあたしにとって、今一番の謎であるのだが、その違和感がどういう種類のものなのかがわからないのだ。
うちの弟の「男らしさを押し付けられるのがつらい」という発言に共感できると言っていた。
ある時、これ何か言われるかなと思ってLINEで「おやすみ、ハニー」と呼びかけてみたけど、ハニーと呼ばれるのにも違和感があるらしいので、ますますわからない。
男らしいとされるもの、応援団独特の押忍! という呼びかけなどが嫌いと言っていた。「漢」が嫌だとも言っていたな。
おっさんにならないように注意しているとのことだった。いい思い出がないらしいので。
なので、この人が何者かは、わからない。
「大丈夫? 真樹ちゃん?」
デート中に、石畳につんのめりかけたあたし。
手を繋いでいる今の恋人が優しく心配する。
「大丈夫」
同じ目の高さの恋人とほほ笑み合う。
少し年上の、いとしいひと。
あたしのセクシャリティは、いろいろ思考した末に、「限りなくヘテロセクシャルに近いバイセクシャル」という方向に落ち着き、男らしいひとよりも、少しずれてるひとの方がうまくいく。特に年上の人で男女の違いを振りかざすようなタイプはダメだ。
恋人が、性別にどう違和感があるのかはまだわからないけれど、長く向き合って行けばいつか明文化できるのかななんて思ったりしているところなのだ。
終わってしまえ