少年娼婦ステイシーと
地球円環説について

二三川練

 

今宵の月が三日月だと気づいたとき

わたしは幼い頃の

うつくしかった性行為のことを思い浮かべていた

それが強姦だったことを知ったとき

男は布団屋の娘と逃亡した後だった

水平線からのぼる朝日が

にこやかな〞レ〟の音を奏でる

わたしは飲みほしたばかりのウィスキー瓶を

あの男にむけて転がした

 

 

布団屋の娘が凍った煙草に火をつけて

夜空の星に煙を吐きだすと

足元に街中の鼠が集まりオペラを唄った

娘はボーイソプラノの鼠に〞R〟と名づけ

去っていった男のあとを追うように言った

男は廃神社のとりのこされたおみくじを

大凶が出るまで引き

そこに書かれていた「西へ向かえ」という言葉に従って

太陽と共に沈んでいった

Rが振りかえると

娘の身体は煙草ごと燃えあがり

夜空へのぼる煙になった

 

 

Rが沈みきった太陽を追いかけていくつかの川を渡りきると

太陽はやがてRの背後に立ち

黒点に住む猟師が燃えあがる銃口を向けた

Rはあわてて陽光のとどかない暗闇へと逃げこんだ

そしてボーイソプラノの歓声をあげたとき

そこが少年娼婦ステイシーの陰嚢のなかであることに気づいた

ステイシーを買った警察官の男は警棒でやわらかな裸をなぞっていたが

ついには膨れあがった陰嚢を見て悲鳴をあげた

「ちくしょう! これじゃあまるでメジャーリーガーじゃないか!」

 

 

黒点に住む猟師は引き鉄を引くたびに

未だ撃ち抜いていない命を想う

あらゆる鹿を撃ち殺すためには

燃えあがる銃口を自らにむけねばならないのだと

彼が気づく日はまだ来ない

 

 

ステイシーの母親は

墜落する飛行機のなかで彼を産んだ

だから彼の故郷は空にあり

死ぬことではじめて里帰りができるのだ

膨らみすぎた陰嚢のせいで路上に打ち捨てられたステイシーは

夕陽に燃える西の空に黒煙を吹く飛行機を見た

東京から韓国へむかうその飛行機は

ステイシーを産みなおすまで何度でも墜落するだろう

屹立した陰茎が西を指し示し

ステイシーは飛行機を追って走りだした

Rは陰嚢のなかで自慢の喉をあたためることにした

彼が精通を迎える日に

とびきりのバースデーソングを唄えるように

 

 

生殖のための性行為をやめたとき

わたしはようやくステイシーを身ごもった

彼は死ぬために産まれ

彼は韓国まで届かなかった飛行機を運ぶために産まれ

彼は国家公務員の膨れあがった陰茎を咥えるために産まれ

彼は

西の果てへ転がっていったウィスキー瓶を割るために

産まれ

ステイシーは

決して訪れない精通の予感に陰嚢を膨らませながら

わたしを「おかあさん」と呼んだのだ

 

 

駅伝選手が北極星にたすきを渡すと

北極星はさらに北へと走っていった

そして方角を失った島国は一本の鉛筆を手に

路線図を書き直すのである

 

 

地平線へ沈んでゆく線路を前に

少年娼婦ステイシーは叫んだ

「真っ直ぐな線路が俺をみちびく

だが、これは単なる政治だ

陰嚢の鼠が俺に走らせようとしたところで

それも結局は政治だ

俺は線路に立ちふさがり鉄の車輪の下敷きになってしまいたい

だが、それだって政治に過ぎないのだ

生まれてはじめて辞書で引いた言葉は〞自慰〟だった

次に引いた言葉は〞自涜〟だった

慰めることは涜すことだと知ったときに

俺は政治的な娼婦になったのだ

だが、一体どこにあるのだ

線路のどこにあるというのだ

鉄の車輪のどこにあるというのだ

陰嚢のどこにあるというのだ

俺のどこに、一羽の飛行機を飛ばせるほどの思想があるというのだ」

ステイシーが泣きくずれると

上空で飛行機が燃えあがる

沈みきった太陽がその残骸を燃やしきる

陰嚢にRの歌声が響いた

 

 

もしも天の川が干からびたなら

飛びながら老いる雁(かりがね)たちの墓場ができるだろう

もしも広大な海が干からびたなら

船乗りたちの失くした指輪が見つかるだろう

もしも太陽が燃えつきたなら

その灰のなかから娼婦が産まれるだろう

地平線の裏側に隠れた男を追う

たった一文字の鼠オペラに

拾われる遺灰があるのだろうか

 

10

 

線路が途絶えると「変装屋」と書かれた看板があらわれた

〞女執事〟の衣装を着た店主にステイシーは言った

「ここに〞俺〟になるための衣装はありますか」

〞女執事〟は千の衣装を指さして言った

「御主人様、ここにある衣装は全て〞あなた〟になるための衣装です」

そしてステイシーは片っ端から衣装を身につけた

〞海賊〟の衣装を身につけたとき、彼は他国の船を襲い宝を奪った

〞医者〟の衣装を身につけたとき、彼は病気の子どもの肉を切りひらき心臓に詰まった黒蜥蜴を取りだしてみせた

〞娼婦〟の衣装を身につけたとき、彼はかつての仕事を為そうとしたがそのときには店主は〞厳格な社会科教師〟の衣装を着ていた

そしてステイシーは〞足立区立足立小学校五年二組二十四番田島由香〟の衣装を身につけて言った

「先生の嘘つき。何を着ても〞あたし〟になれません」

「田島クン、君は勘違いをしているヨ。それではとうてい中学受験には成功しないネ」

その言葉に怒った〞足立区立足立小学校五年二組二十四番田島由香〟はランドセルと学帽を脱ぎ捨て、〞警察官結城大吾〟の衣装を身につけた

「貴様は本官を馬鹿にしているのか! 侮辱罪で逮捕してやる!」

だが、〞片目の怪盗紳士〟の衣装を着た店主の腕に手錠をかけてもすぐにすり抜けてしまうのだった

「わからないのであれば、仕方ない。帰っていただくしかありませんな」

〞片目の怪盗紳士〟に言われ、〞警察官結城大吾〟は制服と拳銃を投げ捨てた

そして怒りのままに〞少年娼婦ステイシー〟の衣装を着ると、鏡に映る自身の膨らんだ陰嚢を見て悲鳴をあげた

「俺は女だ!」

 

11

 

ステイシーが自らの性別を思いだすと、〞かくれんぼ少年〟の店主が店をどこかに隠してしまった

「さあ、今度は君が鬼だよ」

言われるままに目を閉じて十を数えると

そこは灰色の波が打ちよせる岸辺になっていた

燃えあがる飛行機が地平線へ沈み

欠けた部分を寄せあつめたちぐはぐな満月がステイシーを照らしていた

ステイシーはかつての客であった大学教授の話を思いだした

西の涯は東の涯と同じ場所にあるという彼の学説は

〞地球直線説〟の前に敗北した

そして学会から相手にされなくなった大学教授は

萎びたステイシーの陰嚢を枕にして涙を流したのである

ステイシーはどろどろとした灰の海を泳ごうとしたが

ハーメルンの二の舞になることを恐れたRに陰嚢を噛みつかれ

泣く泣く諦めることとなった

そしてステイシーは再び目を閉じ

十を数えて目を開けた

 

12

 

ステイシーが育った街には名前がなかった

直線の地球を東から三割ほど進んだ場所にその街はあった

しかしステイシーの夢のなかでは東の涯と西の涯とが一致する〞地球円環説〟が採用されているため

彼女の故郷は空想の地球を迷子になるのだった

道を真っ直ぐに進むと仮面の郵便局員が自転車を止めて

白紙の手紙を渡してきた

彼はステイシーの初めての客である

亡くした一人娘への手紙を背中に書かれながら、ステイシーは自らを男だと思いこむようになった

夢の地球で行われる記憶とのかくれんぼは東と西をまぜこぜにしたが

ステイシーとRは空に立つ汚れた煙を目印に

再び西へむかって歩きはじめた

翼を燃やしながら西と東の接着点に落ちてゆく飛行機に

彼女の最初の記憶が隠れているのだ

 

13

 

線路が途絶えたとき

鉄の車輪はようやく目的地を見つける

あらゆる命を乗せた無人の飛行機には

わたしだけがいなかった

一羽の飛行機を飛ばすほどの思想は

地球を円環にするほどの想像力にしか宿らないと

ステイシーは知っていたのである